「日本軍と日本兵」 一ノ瀬俊也 著

副題に「米軍報告書は語る」とあるように、米陸軍軍事情報部が1942~46年まで部内向けに毎月出していた戦訓広報誌「情報公報」に掲載された記事から分析している。米軍の士気に影響与えないように、日本軍を弱く書いている面もある可能性を著者も指摘している。

戦いの当初では、日本兵超人神話(わずかな食糧で大丈夫で狙撃に長け、音も無くジャングルを移動して側背から攻撃)があったようである。この書は、その払拭を狙いともしていたから日本兵も普通の人間と書く。

日本陸軍のイメージは、精神第一主義で、捕虜になることは恥辱と考え、それくらいなら死ぬという精神(玉砕)、夜戦を得意として、島の防衛では水際線での防御に固執し、それが突破されると、その夜にバンザイ突撃をして戦死(硫黄島は別だが)というイメージであったが、これを読むと少し違うようだ。

識者も日本軍は精神主義、歩兵主兵主義、白兵主義という。また攻撃重視で防衛は苦手とも書いているのが一般的だが、ちょっと違った視点で面白い面もある。

第一次大戦で総力戦、物量戦になることを学ぶ。ただ「持たざる国」であり、貧弱な国力では限界がある。そこで長期戦を回避した短期即決戦を小畑敏四郎はめざし、石原莞爾は「持てる国」造りを目指す。共に軍内権力闘争に負け、軍は物質力に対する精神力の優位を唱える内に、本当に日米戦争になる。あとは敵の戦意喪失を目指して玉砕を繰り返したと書いている本もあるようだ。

捕虜になった米軍の手記に、日支事変で歴戦の日本兵は中国兵の戦いぶりに賞賛していたと伝えている。日本兵の最下級の兵は、何かというと上官にピンタされる。彼等が上官になると、今度は新兵を撲ると書く。

米軍は友軍となる中国兵と、敵の日本兵の区別に苦労したようで、結局、日本人はLの発音が出きずRになる。姿勢は悪く、足を引きずって歩く。歯の質は悪い。風呂に入るから清潔好き、下着のふんどしなどを特徴としているが、結論は見た目では中国人と区別つきにくいとしている。

米兵の身長は平均で172.7センチ、体重は68~70キロ。平均的日本兵は身長161.3センチ、体重52.6~54.4キロと書く。この為か、日本の銃剣術は弱かったと書く。銃剣では突きばかりで、米軍のように銃床で撲るようなことはしない。加えて食事の量も違うから、格闘となると米・英軍に負けたのだろう。

日本兵は麻薬はしない。酒を集団で飲み、宴会すると書いている。

日本兵は戦友が隣にいたり、地の利を得ている時は大胆かつ勇敢。射撃規律は良好。ただし個人での射撃は下手。自分一人になるとパニックになる。だから米軍は日本の将校を撃てとなる。(これはどこの軍でも同じだが)

戦死者への葬送は丁寧で厳粛である。ただ逃げ戦になると、傷病兵を殺して逃げたりする。医療はマラリア、性病などの対策はなっていない。

日本兵は死ぬことが名誉で、捕虜になると恥であると教えられている。捕虜になると、米兵に虐待され、殺されると教えられている。また捕虜になると、地域社会で家族が差別される。だが捕虜になって米軍の親切に接すると、恩を感じて協力的になる。降伏は恥だから、降伏ではなく停戦と言うのも日本兵の投降を促すには良い。

日本兵は米軍による空からの爆撃を恐れる。ジャングルで狙撃兵は木に縛られていて、死んでも米軍に恐怖を与えるようにされていた。日本軍の攻撃は、側面に廻るようにしてくる(これはどの軍隊でも同じ)。夜間攻撃は常用するが、目標を限定して深入りしない。また日本軍は予備兵力を持たない。

米軍が戦車を100台以上投入した島では日本軍は持って3週間程度で敗退。だから日本軍は戦車への肉弾戦をやる。穴を掘って潜み、不意に攻撃するのは、硫黄島以前から行われていた。潜む穴を連携しての十字砲火なども行う。火力は軽機関銃が主力で、個人は三八式銃である。長く、軽くて、小口径で、発射炎、反動も出ない。

玉砕は完全に包囲されて逃げ場がない小島で実行。ビルマのようなところでは後退した。

防御は不名誉で、反撃するまでの手段とされていた。アッツ島、硫黄島の日本軍が善戦したところの兵は食糧も豊富だったと分析されている。ともに洞窟陣地が中心

生産力において多大の懸隔がある米軍には一人10殺をしても効果はないかもしれないが、米軍は世論が大事であり、民主国だから対米宣伝に効果あると当時の主任参謀の恒石重嗣が回想。また同大本営参謀の原四郎中佐は、「ただ一度でいいから勝ちたかった」と九州志布志湾で迎え撃つことを考えていた。一撃講和論である。
こんな指導部のもとで戦ったのだから悲惨である。



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