「蜜蜂と遠雷」恩田陸 著

 意欲的で面白い小説だ。芳ケ江国際ピアノコンクールに参加する天才的な3人の若者(カザマ・ジン、栄伝亜夜、マサル・カルロス・レヴィ・アナトール)を主人公に、そこに少し歳を取った28歳の男性音楽家(高島明石)を脇の主人公にして、天才達が競うピアノコンクールの世界を描いている。
 小説家の作者は、天才達の音楽を語りながら、そこに「そもそも音楽の世界とは」という視点も入れて書いている。小説の所々に「この世界は音楽に溢れている」というフレーズを入れているが、このあたりのことを書きたかったのかもしれない。
 物語では、脇役に審査員の嵯峨三枝子、ナサニエル(2人は元夫婦)や、高島の姿を映像に撮る彼と知り合いの女性記者仁科雅美、栄伝の才能を信じる音大の学長浜崎とその娘でヴァイオリ演奏家の奏などを登場させて、物語を厚くしていく。

 カザマ・ジンは自宅にピアノもない養蜂家の息子で、審査員達の師匠とも言うべきユウジ・ホフマン(近年逝去)が、このカザマ・ジンをコンクールに送り込んできたのだ。耳が驚くほどよく、天衣無縫の若者として描かれている。コンクールの最中に泊まった先の華道家に華道を習うような男の子である。
 栄伝亜夜は子供の頃から天才と称せられていたが、母が死、ピアノの師の綿貫も死んでから、急に音楽を止める。音楽そのものを止めるのではなく、気楽に音楽を楽しんでいた。ある時、古くからの知り合いの浜崎学長のすすめで音楽大学に入り、またピアノをはじめる。
 マサル・カルロスは様々な血が混じる混血で、幼い時に日本にいて、栄伝亜夜とその師の綿貫からピアノを学ぶように誘われたという奇縁が、このコンクールの時にわかる。ニューヨークの名門音楽大の誇る逸材である。

 私は、この小説の中で演奏されるピアノ曲をほとんど知らないが、恩田陸は各曲を詳しく言葉(文学的に)で表現している。だから、それら音楽をよく知っている人が読めば、また違った感想を持つと思う。そのような音楽に詳しい人の、この小説の評を聞きたいという興味はある。
それにしても恩田陸は、それぞれの音楽を自分なりに聴いて、しっかりした感想を持っているわけであり、大したものだ。そして、恩田陸は「世界は音楽に充ちている」を体現する人物にカザマ・ジンを選び、その音楽の楽しさによって、栄伝亜夜は過去に閉じ込めた音楽の天性を再度開いていくわけだ。28歳の高島明石は、幼少の頃、カイコ棚を持つ家の祖母に育てられ、その情景を思い出すように演奏して、特別の賞を得る。同時に天才たちの音楽を聴き、改めて音楽の楽しさを認識して、この道に進もうとする。

 コンテストでは、技術は凄いが、演奏がアトラクションになっているような音楽家なども登場させている。間接的に恩田陸はこのような音楽を批判しているのだろうか。
 コンテスタント(コンテストの出場者)の特異な才能と、その才能を正しく評価する専門家の世界は興味深い。同時に細かいことはわからなくても、いい音楽には素直に感動する聴衆も書いており、いい音楽の普遍性も理解できるし、救われる思いも持つ。

 ちなみにタイトルの「蜜蜂と遠雷」であるが、カザマ・ジンが養蜂家の息子と言う点と、コンテストの途中で、耳の良いジンが遠くの雷を聞く場面があるからかとも思うが、恩田陸が「エントリー」の章で書いている「世界は明るく、どこまでも広がっていて、常に揺れ動きやすく、神々しくも恐ろしい場所」とか繰り返し書いている「世界は音楽に充ちている」ということから付けたのであろうか。私にはよくわからない。

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