「日本史の謎は地政学で解ける」兵頭二十八 著

 視点に面白いものがあるが、多くの視点を取り上げているので、説明が不十分なところがあり、別の観点から反論することもできるだろう。断片的に日本史上の事象を捉えており、体系的ではない。軍事、防衛に詳しい著者のようで、その観点から日本史を眺められているとも感じる。
 次のような論が述べられており、「なるほど」と思うものもある。

 瀬戸内海を一本の運河とすると、大阪湾に注ぐ淀川の下流はターミナル船付場となる。淀川は流れがゆるやかで、遡れば山﨑、伏見に行ける。伏見には巨椋池があり、そこに京都から鴨川、琵琶湖から宇治川、伊勢の鈴鹿山系から木津川、丹波から大堰川(桂川)が流れ込む。非常に便利なところ。

 大和盆地は周りが山でそこから緩やかな傾斜地になって、農地が得やすい場所であった。ここから東国に行くには鈴鹿関、美濃の方に行くと不破関が要地であった。

 鎌倉は京都だけでなく、東北平泉の藤原氏を見張るのにも良い場所。また守りやすい場所。
 東国出身の足利幕府は、西国の武将と奈良にいる南朝の残党に対処する為に京都に幕府を置く。
 信長の安土は、琵琶湖の海上ネットワークと、後背地の自身の基盤の美濃・尾張(同盟の家康の三河・遠江)を控え、これから討伐に向かう西国を睨んだ場所。
 秀吉の大坂は、南蛮船の貿易を考え、自身の明・朝鮮征伐の拠点。
 家康の江戸は開発余地が大きく、江戸湾によって水運の便も良い。(ただし江戸湾の構造からペリ-の艦隊に入口を抑えられるとパニックになる)
 明治の東京は、対外的に徳川幕府を引き継ぐ政権をアピールする必要があるので、ここに都を遷都した(蝦夷政府を諸外国に認めさせないということ)。(大名屋敷、武家屋敷の空きが多く、新政府設立にも便利だったのでは?)
 明治期の大坂は大村益次郎の助言もあり、西(薩摩、九州)の蜂起に備える軍都となる。

 古代の継体天皇までの間は奈良盆地では朝鮮半島の三韓からの工作員によって結束は乱れていた。

 東国(奥羽)は日本全体の気候変動に影響される地域である。寒冷化が進むと東北は厳しい。逆に温暖化が進むと東北は力を持つ。平安時代のはじめに東国で乱が多かったのは寒冷化してきた為。

 東海道のボトルネックは新居関(浜名湖)と由井海岸、それに箱根峠。

 長州藩は下関の支配が財力の元であった。瀬戸内海を通る船の通行利権が生まれる。
 薩摩藩は沖縄支配の口実による密貿易で富を得た。

 モンゴルの征服は奴隷的な尖兵を先に行かせる方式で、日本攻めには南宋や朝鮮の人民が使われる。
 攻撃する外国軍は補給を考えて、日本の都市にある倉庫の確保を考える。これで太宰府が狙われる。近畿の都市と違って、太宰府は守る側の日本軍が九州の軍だけしか集結・反撃できない。

 帆船は敵の水面に入っても、風が動力だから、すぐに方向転換して敵水面から脱出するのが難儀である。蒸気船は進退がやりやすく、申し合わせて一斉の艦隊行動もできる。

 日本はロシアから北方と朝鮮半島経由の2方面で攻められると防衛しにくい。だから征韓論。

 広島の宇品港は日清、日露戦争の時の大陸出兵の拠点。大洋に面していないので艦砲射撃がされにくい。また鉄道が通っていることが補給の大前提。

 航空機時代は大圏コースでカムチャッカ半島の上はアメリカとの最短コース。ロシアはエトロフ島を日本、アメリカに利用されるのを厭がる。

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