「考える江戸の人々」柴田純 著

江戸時代における大名から庶民(書いたものが残っている庄屋クラスまで)までの生き方、考え方を説き明かした本である。
中世は神仏がこの世界を支配しており、人が英雄的行為をしても、それは人の功績ではなく神仏の加護と認識されていた。蒙古襲来でも神仏に祈るのが基本であった。
応仁の乱以降、社会が混乱。神仏の権威に懐疑心が生まれる。またヨーロッパ人の来航で天竺以外を知り、仏教的世界観が崩壊していく。戦国大名は国冨のために土木工事などの灌漑事業を行い、耕地面積を増やす。太閤検地で下人が小農民になる。すると農具・農法を改良するようになり、その為に知識も学ぶようになる。
こうして、「人を救うのは人」という認識が生まれ、鍋島直茂は嫡子に「仏神に祈るのは人力の及ばないことを祈る」ことと述べる。
各自が生き方を正しくし、向上していくことの大切さを意識するようになる。

大名では井伊直孝(道理、法度重視、人間としての向上)、鍋島直茂、池田光政(治者として百姓重視)のことが記され、学者では藤原惺窩、その弟子の林羅山、紀州藩に仕えた那波活所の思想が簡単に記されている。那波活所は著者が世に紹介した人物で、自ら考え工夫することの大切さを説き、人間の本質を人と人との間やものに共感・共鳴する活動性にあり、その共感能力を高めるために詩文書画といった芸術も大切と強調しているようだ。
それに伊藤仁斎、荻生徂徠。また武士の山本常朝(葉隠)、浅井駒之助(和歌山藩士で藩政を批判して果てる。その子忠八が町奉行や大番頭格になる)や沢辺北溟(宮津藩の藩医の子、藩政にたずさわる)を紹介している。

庄屋の河内屋可正(河内国大ヶ塚村の庄屋筋)が自分を中人として工夫、才覚、思案することの大切さを唱え、西村次郎兵衛(但馬気多郡の大庄屋)は家業の恩、それを守る為の幼年よりの筆算の大切さ、また誠にして堪忍の心得などを説く。

 そして、近江の五個荘町域にあった庶民の塾というか寺子屋の時習斎の入門者史料から、広域から、そして女性も学んでいた実態を明らかにしている。こういうのが近江商人の源流なのだろう。

 読みやすい本ではない。

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