「楽市楽座はあったのか」長澤伸樹 著

良い本である。著者は楽市楽座に関して現存する全史料に当たり、それが発布された背景や、その後のことまで詳しく分析している。また先行する研究者の論も幅広く紹介している。そして参考文献における参考とした部分までキチンと載せている。
このような本だけに読みやすくはない。またタイトルは売る為だと思うが、センセーショナルな表現となっている。我々の頭にあるような通説としての楽市楽座はなかったと言っているだけである。

楽市楽座と言えば織田信長となるが、著者はこれまでに楽市の文書は14通、楽市楽座が7通、楽座は1通の合計22例が発見されており、現時点の初出史料は天文18年に六角氏が近江・枝村に出したもの、それから永禄9年の今川氏真が駿河の富士大宮で出したものであることを紹介している。この次ぎが織田信長である。
そして徳川家康、佐久間信盛、柴田勝家、北条氏政、羽柴秀吉、池田元助、池田輝政、北条氏直、前田利長、羽柴秀次、北条氏規、北条氏直、京極高次、間宮直元、そして最期が慶長15年に美濃の黒野に加藤貞泰が出したものである。

詳細な分析をしているだけに、簡単に紹介するのは著者に失礼になるが、楽市は時の権力者が戦乱からの復興や前支配者の否定などの独自の判断や価値観で生み出した一時的な特区で、諸税などを免除して居住者を増やした政策である。だから新しい時代へ矛盾無くつながっていく政策ではないし、幅広い地域に広がるものでもないとしている。

楽座も座組織の解散ではなく、座商人の特権を認めるかわりに義務づけてきた役銭の支払いを免除することで、商人支配の新しい体制ができれば不要となるような政策だった。戦国大名にとっては座からの運上金は大切であった。

すなわち戦後の復興や、新しい城下町・宿場町の振興や軍事の重要拠点に商人を集める為などが政策目的での施策である。

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