「戦争の日本史16 文禄・慶長の役」中野等 著

何で秀吉が朝鮮出兵をしたのかは、この本を読んでもよくわからなかった。誇大妄想の果てなのだろうか。
また講和交渉は朝鮮ではなく、明が前面に出ているが、これは今の米軍と中国軍と同様な朝鮮半島の宿命であることが理解できた。明は朝鮮のことなど本当には思っておらず、自国第一なのだ。
また講和交渉ではトップ(秀吉、明の皇帝)の考えとは別に交渉担当者(小西行長、宗義智、明の将軍)が互いにそれぞれの面子が立つ落としどころを探っての交渉であることもわかる。
日本軍の損害も大きいが、朝鮮の被害はそれ以上であり、今の韓国の日本観に影響するのは無理もないと感じる。

「1.征明を期して」では、秀吉は国内の戦国大名と同じ原理で列島外の外国の王にも日本朝廷への出仕を求めた。自分が日光・日精に感じて母親が懐妊したという奇瑞を語る国書であり、朝鮮には対馬の宗氏を通して交渉している。
天正18年11月に朝鮮使節が来日して謁見。朝鮮使節は秀吉の国内統一を賀しただけだが、秀吉は朝鮮が服属したと認識して明を攻める時の先導を求める。天正19年9月に対馬の宗氏は朝鮮に渡って朝鮮出兵の警告をしたが、朝鮮は脅しに過ぎないと認識した。そして朝鮮は明に報告しなかった。明は琉球から情報を得ており、明は朝鮮に不信感を持つ。

「2.唐入り」では、天正20年4月に小西軍がまず渡海。当時の朝鮮は明に倣った科挙制度で官吏が登用され、両斑(東斑=文臣、西斑=武臣)が支配階級で、なおかつ崇文軽武の風潮だった。両斑、中人、常民、賤民の4つの身分階層があった。
両斑は東人派が南人派、北人派に分かれ、西人派と三つの派閥抗争をしていた。
日本軍は4月12日に釜山に上陸し、5月2日には漢城に至る快進撃で国王は漢城から脱出する。鉄砲の力である。また朝鮮民衆の国に対する反乱も起こる。
国王が率先して逃げる文化は大陸的であり、日本人には違和感を持つ。

6月15日には平壌に入城する。このあたりから朝鮮人民の抵抗が激しくなり、日本軍が平壌に迫る中、明が救援を決定する。明の本国自身が危ないと判断した為である。
明は朝鮮を助けるものの、本質は朝鮮よりも明が大事というスタンスで日本軍と対峙していく。

朝鮮水軍の李舜臣が南方海域で活躍し、藤堂高虎、亀井、来島軍を破る。これで秀吉の渡海が延期になる。
7月15日には秀吉は明への侵攻よりも、朝鮮半島内の支配優先の指示を出す。

明軍が増強されて、その中にいかがわしい将軍沈惟敬なども来る。小西と和平会談をして、50日間の休戦協定が結ばれる。朝鮮側は和平に反対であるが、明は無視する。
12月に明の大軍李如松が43000の兵で平壌を囲む。朝鮮軍8000、義兵2000も参戦する。和平は明の時間稼ぎの策謀であった。日本軍は15000程度であり、苦戦して1600の戦死者を出して、南方に逃走。ただし明軍にも多大な損害があり、追撃は免れる。
漢城に日本の各軍が終結して戦うが食料不足となる。

文禄2年3月になると、秀吉も漢城からの撤退もやむを得ないと考え、晋州城の攻略を命じ、東国の兵の渡海も行われる。
この頃には厭戦気分が朝鮮だけでなく、日本国内でも広がる。朝鮮半島でも厭戦の明軍が日本側と講和。朝鮮の意向は無視される。明の使節が日本に派遣されると秀吉の面子も立つとなるが、使節と称しても皇帝の使節ではない人物を派遣する。

「3.講和交渉とその破綻」では、征明の構想は消して、朝鮮内の領土(南部沿岸部)の確保と、明の皇女を天皇の后妃にする、貿易を復活させるなどの条件を提示して使節に持ち帰らすが、当然のように交渉は破綻する。
この間、日本軍は晋州城を攻略する。

「4.慶長の再派兵」では講和交渉の破綻を受けて、文禄5年(慶長元年)に再度出兵となる。日本軍は増強される明の大軍、食料の不足、降倭(朝鮮軍に寝返った日本人で、鉄砲の技術も伝える)、朝鮮の義兵などで苦戦する。
慶長3年に秀吉が死去。この死を隠して和議を交渉する。この間、各地の局地戦では日本軍は苦戦しながらも明軍を破っていることが和議交渉に力になる。小西行長、加藤清正が、それぞれ明軍と交渉する。朝鮮側は和議には反対していたが、日本軍、明軍がお互いの面子を立てながら休戦して撤退する。

「5.復交」では、国土が疲弊した朝鮮にとって明の駐留軍は必要だが、その滞在費負担もある。明は中国への侵攻を朝鮮で食い止めたいとの思惑があるが、滞在長期化の厭戦気分、明国内で兵乱もある。日本は対馬の宗氏、柳川氏が朝鮮と国交を回復したいとの思惑もある。徳川の天下になり、貿易も重視する中での国交の修復が図られる(宗氏の国書改竄事件もあったが)。

フロイスは日本軍15万人が渡海して、約5万人が戦死、病死、飢え死したと書いている。朝鮮側の被害も甚大である。朝鮮軍に逃げて降倭と言われた日本人も生まれ、一方、日本軍が捕虜として連行した朝鮮人も多い。

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