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zoom RSS 「苗字と名前の歴史」 坂田聡 著

<<   作成日時 : 2019/01/24 08:52   >>

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この本は苗字だけでなく、下の名前の方も中世の史料が現存している近江菅浦や丹波山国荘などの事例から分析しており、興味深い。
また歴史学者であるが、最近の夫婦別姓問題にも史実から言及している。すなわち、平安時代以前は他の東アジア諸国と同様に、日本も夫婦別姓であった。室町時代ころに先祖代々の永続を何よりも重視する日本独特の家制度が生まれ、同時に姓と違って苗字がとってかわり、14〜16世紀にかけて東アジアとは別の夫婦同姓になるというものである。古来から日本の伝統というのは誤りとなるが、それでも日本独自の夫婦同姓は長い伝統を持っているわけだ。

また苗字は明治維新後に激増したというのは誤りであり、家制度ができた段階で庶民も苗字を名乗っていたことを立証している。

下の名前の研究では、中世には人生の階段があり、宮座の子供に1歳か3歳の正月に「名づけ」があり童名を得る。成人儀礼に「烏帽子成り」があり、冠をかぶり童名から成人名に名前を変えた。成人男性は老衆(おとなしゅう)と若衆に分けられ、老衆になる時に「官途成り」として官途名を名乗る。60歳を超えると剃髪して出家する「入道成り」という儀式で法名を名乗ることを書いている。

古代の氏とは天皇に仕える集団で、氏名を名乗り、朝廷より臣、連などの姓(かばね)を授かる。
奈良時代になると、姓の役割は律令的な官位の制度にかわり、姓が形骸化して、氏=姓になる。上位は源平藤橘で、下位貴族に大江、中原、菅原、清原などである。

鎌倉武士の時代は、財産が分割相続であり、分割相続された所領の名を名乗る。
南北朝内乱期に長男による単独相続となる。その結果、家督争いが激化し、内乱の長期化が生じる。単独相続で永続性のある家が出現する。

江戸時代は武士の前では庶民は苗字を使えなかったが非公式の場では名乗っていた。

丹波山国荘の史料の分析で庶民は室町時代から苗字を名乗っていたことがわかる。14世紀前半から今安、高室、田尻などが見られる。
他に12世紀に紀伊国神野、真国荘、13世紀の紀伊国野上荘なども庶民は(姓)を名乗っていたが苗字ではない。

名の方は中世庶民は姓型字(源次、平三、藤三郎など)、官途名型字(因幡太夫、左衛門、右兵衛)、童名型字(犬次郎、松丸、菊五郎)、その他(数字など)で、そこには出生の順番の排行(はいこう)名もある。

近江国菅浦の名前延べ3285名を分析すると、姓型字が1173人、その他型が1089人、官途名型字が639人、法名が334人で、童名型字は6人しかいない。

官途名型字は15世紀後半以降に広まる。16世紀には20%となる。衛門、兵衛、左近、右近が増える。
室町時代になると官職の値打ちが急激に下がる。

備中国新見荘、紀伊国粉河荘東村などの事例も調べている。なお東村では16〜17世紀になると父親の名前(祖名)を嫡男が継承する風習が一般化する。

女性名は古代型(虫売、広刀自売など動植物などの名)は10世紀に消滅。漢字+子型は9世紀後半から10世紀に急増し、11世紀後半に激減する。嵯峨天皇の命名改革による。
童名型は11世紀に登場し13世紀初頭以降に急増。松女、観音女などである。
排行+子型の姉子、二子などは10世紀前半に出現し、11世紀〜13世紀はじめに全女性名の半分を占める。13世紀後半に減少。この頃は女性も財産権を持っていた。
氏女型(藤原氏女)11世紀後半に登場。

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