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zoom RSS 「長沢蘆雪」 岡田秀之 著

<<   作成日時 : 2018/12/26 16:19   >>

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長沢蘆雪は円山応挙の弟子であるが、変わった絵も書いていて面白い。特に紀州の無量寺の襖絵の虎は凄いものだ。襖から飛び出てくるようだ。龍虎の襖だから龍の絵もあるが、ともかく凄い。この本は今の読者向けに「かわいい こわい おもしろい」などの副題をつけて軽薄な感じになっているが、評価されるべき画家だ。『奇想の系譜』でも取り上げられている。なお、この本の著者の辻惟雄氏と研究家の河野元昭氏との対談も掲載されている。

この本で様々な蘆雪の作品を知ったが、応挙と同様に子犬の絵もたくさん書いていることを知る。当時の流行の画題であったのであろうか。こういうのが「かわいい」絵である。雀や幼い子が連なった絵も画いている。
一方で「山姥」を画いている絵もあり、これはなかなかに気味が悪いが「奇想」の系譜に入るものだろう。同様に気味が悪いような岩を描いて印象的な海浜奇勝図屏風(メトロポリタン美術館)もある。金地に墨で大胆な岩を描いている。

この当時の画家であり、宴席に呼ばれた席で即興で画いたものもある。指で画いたものもあり、パトロンを驚かしたものだろう。応挙の弟子のように細かく写生した絵もある。

蘆雪は宝暦4年(1754)に丹波篠山藩士の上杉氏の元で生まれたと伝わる。父は後に淀藩に移る。安永7年の25歳くらいには応挙の門であり、作品も残っている。29歳頃から蘆雪を名乗り、寛政11年(1799)に46歳で逝去する。
大坂で死ぬが若く突然の死去で毒殺の噂もあるが、著者は確かな説ではないとする。

蘆雪は伊藤若冲のように自分の体質として奇想のおもむきを持っていたのではなく、伊藤若冲などの活躍を見ながら、そのような絵も面白いとして、いわば「人工の奇想」にいったのではないかと辻氏と河野氏との対談で話されている。

天明6年(1786)33歳の時に南紀の寺に師匠応挙の代わりに出向き、自由奔放な絵を画く。例の虎の名作もこの時の作品である。当時の紀州は宝永4年(1707)の大津波の被害から寺社が再建された時である。紀州では無量寺のほかに、成就寺、草堂寺、円光寺、持宝寺、徳泉寺、高山寺(ここだけ真言宗で他は臨済宗)などに作品が残されている。

作品は禅寺に多く、当時の有力な禅僧との交流もあったわけである。また当時、地方の人が京都の文化に憧れており、絵師は署名の上に「平安」と記しており、蘆雪も例外ではない。

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