「刀剣 刀装具 新版徳川美術館蔵品抄③」

尾張の徳川美術館の蔵品を紹介した本であり、再読である。調べものの過程で再読する。図録が大半であり、尾張徳川家に伝わった名品の写真が所載されている。執筆当時に当館の学芸課長だった佐藤豊三氏の「徳川美術館の刀剣と刀装小道具」の論文が所載されている。

刀剣の写真は昔ながらの写真であり、見てもよくわからない。ただ解説には寸尺だけでなく、「伝来」「鞘書」「作風」それに「備考」が記されている。ちなみに当館には約500点ほどの刀剣が収蔵されており、長刀、、槍、小刀を加えると1000点を越すとのこと。

刀装具も太刀、刀、脇差、長刀、槍などの拵が合計279点ある。拵とは別に赤銅鐔85点、鉄鐔32点、目貫115点、笄87点、小刀柄365点、三所物115点、二所物67点ある。その他、縁、縁頭、栗形、などを含めると1500点ほどあるそうだ。

鞘書は文政7年の御腰物元帳で「仁義礼智信」に分けられたのに従って、一の部が太刀・刀、二の部が脇差・短刀として、一振りずつ、「礼一ノ三拾五」というような番号が付けられている。「仁」が伝来などから特別に大事にされたものだが、「礼」だから劣るというものでもなく、名刀揃いだ。

刀剣は尾張藩立藩の時に、家康の遺物として分けられたものが基礎となる。それが「駿府御分物御道具帳」として記載されている。ここには道具として刀剣(腰物)だけでなく、目貫かうかい(笄)、金銀、色々御道具、色々絹布、御薬種、色々金物、色々細物、色々御振舞道具、御馬具と帳面が分かれて記録されている。他に銭もあったようだが、このような記録は他の御三家には残っていない。(水戸家には写本がある)

要は金銀、刀剣武具甲冑、茶道具、香道具、能道具、衣服、調度、薬、香木などが大名のお宝だったわけだ。
ここに記されている刀剣は406口もある。尾張徳川や紀伊徳川に分与されたものは明暦の大火から免れたわけだ。

刀剣は刀剣だけで「御腰物元帳」(時期ごとにいくつかある)に記されて管理されていた。

以上の管理状況を説明した後に、武家にとって刀剣を贈答に使った歴史(江戸時代だけでなく、室町時代までも含めて)を簡潔に説明している。

刀装具の伝来状況も説明している。同じ刀剣の拵として、藩主が代わるごとに新調したりの記録も残されている。ハバキ;、切羽、しととめ、鐔、縁、目貫、笄、小柄など別に図柄、材質を記している。なお徳川美術館の刀装具は大多数が後藤家の作(脇後藤のも含む)とのこと。三所物115点の内、町彫は僅かに8点である。

刀装具として、この本に所載されている範囲についての私のコメントであるが、拵についている鐔は菊文透かしや、山吉兵の鉄鐔だけだ。俗に言う尾張透かし、金山などは無い。徳川家康の鐔という「あけぼの」「残雪」などの鉄鐔は古刀匠のような鐔である。また柳生鐔も所載されていない。尾張鐔や柳生鐔がこの図録だけに所載されていないという可能性もあるが、古い時代の拵にも使用されておらず、実態はこんなものだ。

また図録では、後藤家の上六代の作品が多く所載されている。刀装具の説明は刀と違って簡単にしか記されていないのが残念であるが、刀と違って写真でも楽しめる。

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