「日本史のなぞ」 大澤真幸 著

副題に「なぜこの国で一度だけ革命が成功したのか」とあるが、変わった本である。これは、日本史の中で、唯一、承久の乱で天皇を攻撃した北条泰時を取り上げている。彼は天皇に刃向かったのに、天皇崇拝が基調の水戸学(安積澹泊)や、その前の北畠親房の『神皇正統紀』でも批判されずに、むしろ称賛されている。
その北条泰時が革命家だとして、日本の社会構造の特殊性を考えている本である。あわせて日本の革命、東西の革命の定義などに言及している。

著者は、革命とは「社会の根本的な変革が、当の社会のメンバーによって意図的に引きおこされることを指す」と定義する。基本的な社会構造の変化をともなうようなことである。

大化の改新(大宝律令の制定、正史日本書紀の成立、持続的な都城の建設…藤原不比等)は中国風の本格的な国家の確立に向かうが、唐、新羅の外圧に危機感を覚えたクーデターであると述べている。明治維新も終戦直後も外圧による変革であるとして革命とはみなしていない。

信長は天皇を支配しようとしており、革命の可能性はあった。また後醍醐天皇は中国式の貴族や官人を官僚とする専制国家を目指したが挫折した。

北条泰時は承久の乱で後鳥羽上皇を破る。東国の武士たちが承久の乱を戦うことで団結した。それまでは皇室の内部に亀裂があって、一方の皇室からお墨付きをもらって戦っていた。しかし、承久の乱ではそんなことはなく、反皇室の戦いである。しかし当事者の皇族は流刑にしたが、皇室は残している。

北条泰時は、乱の後に六波羅探題を設け、以降は西国にも鎌倉幕府の地頭を置く。その後、飢饉の折に『御成敗式目』を制定する。これが長く、武家にも貴族社会にも受け入れられた法となる。はじめ35条、あとで51条になった法である。
これは日本の固有法として画期的(他国の法律を模倣したのは継受法)であり、内から日本社会を変えた、まさに革命である。

孟子は日本で禁書だった。それは孟子に易姓革命の記述があるためである。皇帝が持つべき徳を失うと、天命が改まるという思想だ。この時、天子の姓があらたまる(易姓)、すなわち王朝がかわる。

易姓革命は本質的には革命を否定する革命である。政体はかわらず、皇帝という制度を持続させて支配者だけが替わる革命だからだ。天命も不明確なものである。どこまで勝てばいいのかわからない。

ヨーロッパはイエス・キリストの活動でわかるように、天命に替わる概念が神との契約となる。契約は更改される。だから旧約と新約の聖書がある。契約の内容は法(律法)。だけど新約は旧約を包含している。イスラムのコーランも同じ。古い立法の文書が見つかったとして解釈者の革命がおきる。

1075年にカノッサの屈辱、1122年のヴォルムス協約で、司教の叙任権は皇帝から教皇に移り、その代わりに教会は世俗のことがらに対する皇帝の権威を承認する。
ちょうどこの時の11世紀末にユスティニアス法典が見つかる。西洋の革命は、反復の反復のようなもので、神の契約が法をかえる。

「天皇」の語は道教にある。日本が天皇を唱えたのは持統天皇の飛鳥浄御原律令の頃。王の出身地、部族名がつく王朝と天皇制は違う。

平安朝の朝廷は武力を持っていない。六衛府の軍隊は外敵と戦うのではなく、皇居を守る警察官僚の位置づけである。

天皇はもともと親政はしなかった。奈良の律令国家の時と、明治から太平洋戦争までが例外的に親政した。

奈良時代は大臣、大連が補佐し、それから藤原氏が補佐する。その後、天皇と幕府の関係になり、幕府の中も、将軍に対して執権とか、室町時代には将軍に対して、三管領(斯波、細川、畠山)四職(赤松、京極、一色、山名)となり、江戸幕府は将軍に老中(大老) そして明治からは天皇に元老となる。最後の元老の西園寺公望が1940年に逝去後に太平洋戦争。
そして戦後は日本の政治を動かす実質はアメリカというような状況である。

この外にも興味深い記述があるが、私には理解しにくい記述も多い。

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