沖縄旅行② ひめゆりの塔、ひめゆり平和祈念資料館

 旅行は、実際に現地に出向くわけであり、本で知り、感じたこととは違う。だから行くわけだ。
 沖縄陸軍病院第三外科で看護業務についていた女学生(県立第一高女→「乙姫」、沖縄師範学校女子部→「白百合」)の「姫百合」学徒隊240名(教師18名)の内戦死した136名の慰霊碑である。

 戦死者のご両親の金城和信夫妻が建てられた小さな石塔である。その横に病棟に使われたガマ(洞穴)が大きな口を開け、その後ろに大きな慰霊碑がある。近くにひめゆり平和祈念資料館がある。ガマには横穴もあり、病棟になっていたのだろう。(今はガマの周りに柵があり、入れないし、のぞけない)

 タクシーの運転手に聞いたが、病院の移動にあたって、重傷者には「あとで迎えの車が来るから」とか言ったり、ミルクに青酸カリを入れたのを置いていったりしたと聞く。
 また、日本軍は赤十字の旗を立てたところに兵士を潜ませていたことが何度かあり、それで米軍はこの壕にも手榴弾を投げ込んだようだ(こういうのを馬乗り攻撃という)。なおガマに逃げ込んだ一般人の中には日本軍によって追い出されたり、殺された人もいたと言う。

 米軍は沖縄の真ん中に上陸して、そこから2手に分かれて北部、南部に進軍した。その結果、南に南にと追われて、この地に至る。
 6月18日に解散命令が出たが、米軍包囲の中に放り出されてもどうしようもなく、その後に100名余が亡くなったとある。”解散命令”でなく、”降伏”すべきだったのだろう。

 「ひめゆり」が注目されるが、沖縄第二高女の女学生は「白梅」で46人中17人戦死、第三高女は「なごらん」、昭和高女は「梯梧(でいご)」で17人中9人戦死、沖縄積徳高女は「積徳」で25人中4人戦死、首里高女は「瑞泉」は61人中33人戦死である。ともに忘れてはならない。

 ひめゆり平和祈念資料館には、亡くなられた女生徒の遺影(遺影の写真が無い方がさらに悲しい)と、友人らが語る人柄などが記されており、読んでいくと目頭が熱くなる。生き残られた方の話が所載された資料の展示や、映像になっているお話が流れている。
 見学時間の関係と、あまりに悲しくなると言う理由で、全ては拝見していない。涙もろいのだ。

 平和祈念公園は南部の突端にある。多くの人が身を投じたという海岸の厓も見える。新しく造られた公園であり、立派な資料館もある。公園には沖縄戦で亡くなった方のお名前が刻まれている黒御影石の石碑が数多く並ぶ。沖縄出身者は市町村別、あとは県別、そして外国人のお名前も刻まれている。沖縄県人には名前がつく前に亡くなり「○○家次男」という名前もあるそうだ。

 平和祈念資料館の中は拝観していない。

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