「身分差社会の真実」 斎藤洋一+大石慎三郎 著

この本は「新書・江戸時代②」とも副題としてあるから、一連のものとして読んだ方がいいのかもしれないが、取りあえず、この本だけを読む。
プロローグに大石氏が江戸時代の差別社会の実態を概括的に述べ、以下の章は被差別部落のことを中心に述べている。
江戸時代は士農工商と言われるが、武士と町人(商人、農民)の区別はあるが、四民の区別は特に無かったと書いてある。そして、実際には町人の中では商人の方が農民より上に位置づけられることが多かったようだ。
また武士の中では、大名は格によって細かく差別されており、幕府直参は旗本、御家人に大別され、武士社会全体では直臣、陪臣の差、そして藩の家中では上士、下士、足軽などに大別され、それぞれの中でも細かく身分差が規定されていた。

百姓は本百姓(村の寄合に参加する資格)、小前百姓に分かれ、本百姓の中から名主、組頭などが選ばれていた。
商家は女子相続が中心であり、店内では番頭、手代、丁稚、小僧などに分かれていたが、身分というより職制でもある。
町人は、江戸を例にとると、町年寄(江戸では樽屋、奈良屋、喜多村)、町名主(江戸では263家あり、成立事情で草分名主、古町名主、平名主)があり、次ぎに家主と店子、店借に分かれていた。

被差別部落のことは、江戸時代から生まれたのではなく、もっと前の時代からある特定職業(ケガレ)に携わる人に対して存在したことを書いている。「えた」という言葉は13世紀からあり、10世紀のはじめにも京都では濫僧、屠者と言う言葉があった。

江戸時代において、被差別民に特定の職業として、斃牛馬処理、皮革業、掃除役、牢番役、処刑人、下級警察、一部の渡し守、火葬、灯心製造、雪駄・草履製造、竹細工、砥石販売、猿廻しなどがあげられている。処刑人はむしろ名誉の職ということもあったようだ。切腹の介錯人などは名誉でもあった。槍で突き殺すような処刑人のことなのであろう。
そして呼び方も地方ごとに、 えた、非人、長吏(ちょうり)、渡し守、おんぼう、ちゃせん、猿飼い、とうない、けんご、しく、ささら、しゅく、はちや、番太、おんみょうじ、あおや(青屋)、こぼし(小法師)などと呼ばれていた。

幕府や藩も差別を是認して、被差別民に対しては、瓦屋根を禁じるとか、衣料にも制限を加える、髪型も指定するなどした。また結婚相手も制限をしていた。これを受けて、町人・農民も差別をしていた。

本来はあまねく救済すべく役割を持つ宗教も差別し、戒名に特定の字をつけることなどをしていた。

ただし経済的には恵まれていた者もいた。大坂の渡辺村、姫路藩にある高木村などは皮革業の中心地として栄え、そこに名の知れた分限者もいたわけである。


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