「文明探偵の冒険」神里達博 著

副題に「今は時代の節目なのか」とある。著者は科学史が専門のようだが、様々な事象から時代の節目ということを考えている本だ。明確に時代の節目などはわからないものであり、特にその過程に現在我々がいるとなるとますますわからない。
この本でも幅広い事象を取り上げている。著者は博識であるが、それがゆえに、読んでいる方がついていけないところがある。そして、明確に時代の節目などわからないだけに歯切れが悪く、理解し難い。世の中には変なことをまじめに考えている人がいるもんだというのが感想である。そういうことだから以下に記したことは、私が面白いと思ったところだけであり、本を紹介する内容にはなっていないことを承知されたい。

科学で対処できないことは政治的に対処することにもなる。それは更には判断する個々人に降りて来る問題でもあると書いているが妙に納得する。

オリンピックにからんでクーベルタンは元貴族であり、それがアマチュアリズム(貴族は公的な仕事につく)、普遍主義=グローバリズム(貴族は国が違っても、貴族という階級で通じやすい)に関連しているというのも面白い。
またオリンピックで成功したのは商業主義、建物は既存のものを利用したロサンジェルス大会とも書いている。

暦は未来のこと、歴は過去のこと。上の字画は稲が整然と並んでいる形を表し、暦は「日」で太陽、繰り返しという意味が生まれて暦になり、歴は歩みを意味する「止」がついて歴史となるというのもなるほどと思う。

自然事象を予測したり、自然事象を時代の節目ととらえる考えもあるが、なかなか予測することはできない。地震がその例である。

予測できない未来に対して宗教的なアプローチもある。輪廻などもそんな世界観である。予定されている未来に免罪符を買ってというカソリックもあった。

地震もそうだが、彗星はまさにそうだが、周期ということで予測しようとしたが、完全にはできない。

科学も正しいようでわからない。ダイオウイカの発見が近年増えたというのは、これまでは獲っても捨てていたという面もある。

歴史は過去のことだから正しいかというと、それもあやふやである。消された史実もある。

以上のような調子で本は続き、私にはよくわからないが、時代の節目が来ているのではないかという漠然とした思いが、この本を書いた理由のようだ。

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