「昭和史の教訓」 保阪正康 著

昭和史について、多くの著作がある著者が、昭和史からの教訓として伝えておきたいことを書いた本である。特におかしな方向に傾斜していった昭和10年代を中心に書いている。ポイントは①政党政治が自己崩壊していくこと、②軍人の冒険主義、③天皇、日本精神などの神格化などだ。

2.26事件は軍の皇道派と統制派の争いだが、この後、統制派は皇道派の排斥だけでなく、国そのものを軍事主導にしていった。軍を押さえるためとして、陸軍大臣現役武官制がとられたが、これによって、軍が内閣にノーを簡単につけることができるようになる。皇道派粛清の中で、東条が親米派を排除したのも弊害だった。

この時はそうでもないが、5.15事件(昭和7年…犬養毅首相殺害)の時は、国民が反乱者に同情的であり、そのような空気(動機善ならば手段は)が軍を増長させていったのだと思う。これは今の中国にも当てはまる。愛国であれば手段はという感じだ。ちなみに5.15事件の後に政党政治は昭和天皇自ら終わらせる。国民も腐敗している政党政治よりはとなっていったのだ。

そして、この時代はA.国定教科書による国家統制、B.情報発信の一元化、C.暴力装置の発動、D.弾圧立法の徹底化で国民が囲い込まれたとする。

A.の国定教科書については、昭和8年改定で、臣民の道、忠君愛国、神国観念が出たとする。「ススメ ススメ ヘイタイススメ」が最初の方に来たと書く。また昭和12年の『国体の本義』で旧制中学、旧制高校などの副読本が強制される。『皇国二千六百年史』が編纂されるが、神国的な歴史観となってしまった。神国日本は不敗などの宗教になって信じてしまえば思考は停止する。

B.は検閲が厳しくなり、大本営発表中心になったことだ。普段は偉そうに言っているジャーナリストも桐生悠々など少数を除いて、国策にべったりとなるのだ。反対したら牢を覚悟しなくてはならない状況ではやむをえない。

C.はテロ、クーデターによる恐怖だ。昭和11年に2.26事件がおきる。昭和7年には5.15事件だ。皆が命を惜しんで正論も言えなかったのだ。近衛首相自身も自分の別荘荻外荘に右翼の有力者を住まわせたほどだ。

D.は意に染まない言論を発する者を取り締まる法律が出来たことだ。治安維持法は大正14年だが、昭和13年には国家総動員法ができる。これは国民が隣人を非国民と訴えるほどになる。

日中戦争は、戦争と意識しないで、どんどんエスカレートしていった。昭和12年の盧溝橋事件から、軍の独走を政治が追認するような形で、そこにシナを蔑視する思想・感情が輪をかける。
四字熟語の「忠君愛国」「滅私奉公」「暴支膺懲」「鬼畜米英」などの大衆向けの言葉が多用されると危ないのだろう。


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