「花の忠臣蔵」 野口武彦 著

忠臣蔵は、今は映画やドラマなどに取り上げられることは少ないが、日本人として共感できる心情が溢れた叙事詩である。
内匠頭への吉良の虐め的要素、それに耐えて耐えて暴発する心の動き。吉良に対しては、自分達の側にもいる金さえだせば便宜をはかる人間を投影でき、共感する。物語の解釈としては、吉良側に立って、浅野家の配慮の無さを指摘することも可能である。

討ち入りに参加した47人には、そこに親子の関係、夫婦・恋人の関係や艱難辛苦の物語が47通りに展開される多様性があって物語に厚みを増す。参加しなかった浪士にも、それぞれの事情(しがらみ)があり、その事情は事情で納得性が高く共感も可能である。

そして個人ではなく、チームワークのもとでの討ち入りの成功という栄光。そこにはドラマチックな戦闘場面や吉良の在宅を確認する為のドラマや、吉良邸において吉良を探す面白さなどもある。

そして、栄光後の切腹という悲劇的な幕切れとなる。預けられた各大名家での対応の違いなどもドラマ的な要素に満ちている。

将軍家お裁きへの批判、武士という人種の節度、堅苦しさ、討ち入り時の隣家旗本の対応、江戸市民の反応なども面白いドラマ的要素が満載である。

この本の冒頭に元禄四年にケンペルが赤穂城を瀬戸内海から観た印象を彼の著作『日本誌』から引用している。そして赤穂の近くの室津(古代から女郎で有名)でケンペルは登楼していることを記している。

また、綱吉が諸大名のことを調査した『土芥寇しゅう記』なる書物があり、そこに浅野内匠頭について「女色を好む」ということが書かれているのを紹介している。綱吉の先入観になった可能性もある。

そして、この本で目新しいのは元禄という時代に着目したところである。面白いと思ったのは元禄時代に金銀貨幣の改鋳があり、インフレとなる。浅野内匠頭は2回目の勅使接待役なのだが、18年前(内匠頭17歳)の時の費用(450~460両)が頭にあり、元禄の時代のインフレもあり、700両くらいと踏んでいた。しかし元禄10年に同役を務めた日向飫肥藩の伊東家は1200両かかっており、この認識の差が吉良の不興を買った面があることを暗喩しているところである。

また貨幣経済の進展に関係していることだが、当時の赤穂藩は藩札(藩の信用で発行した紙幣)を発行しており、事件後、混乱はしたが額面の60%となったが、精算している。

引用している古文書は現代文に訳されていてわかりやすい。討入りまでの間、江戸急進派グループ(堀部安兵衛、奥田孫太夫、高田郡兵衛→後に脱盟)、上方の武闘派(不破数右衛門(刀剣の試し斬りが好きで解雇)、武林唯七)もいる。また俳人グループ(大高源五を中心に何人もいる)といるが、結束を保つのは難しかった。
大石内蔵助の遊興は、敵を欺くというよりは、本人の好みではなかったかとも書いている(周りは心配している)。

内匠頭弟の浅野大学の処分が決まり、吉良上野介の隠居と本所への屋敷替えなどがあり、いよいよ決行となる。この後のことも、各種資料を引用していて興味深い。

決行後に吉良の近い親戚の上杉藩からの討手との戦闘を赤穂浪士は考えていたが、上杉家の当主上杉綱憲は病中であり、激高したが、幕府の方から若年寄と高家が来て、自重を求める。上杉藩の家老クラスは、幕府の方針と気脈を通じていたと思われる。

決行後の幕閣は、浪士の処分については「永のお預け」的な甘い考え方が支配していたが、柳沢吉保の元の荻生徂徠が切腹を提案して、この処分に決まる。


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