「江戸の旅文化」 神崎宣武 著

江戸時代の後期は庶民が旅を楽しんだ時代である。この本では伊勢参りの実態を詳しく紹介し、他に大山詣、富士登山、善光寺参り、厳島参拝、京見物のことや、温泉旅行=湯治の習俗などを紹介している。

江戸時代の旅行ブームについては、これまでもいくつかの歴史書から把握していたが、その実態(旅の服装、宿の様子など)が詳しく書かれている。

旅は歩きの旅であるから軽装だった。足下は股引に脚絆、足袋に草履である。着替えの持参も少なく、洗濯物などは棒の先につるして乾かしながら歩いたこともあったようだ。肩に柳行李を振り分けに掛け、余った荷物は風呂敷に包んで背負っている。女は男の伴が持つことが多く、自身では化粧品や護身用の杖だけである。
矢立、日記手帳、扇子、糸針、懐中鏡、櫛ならびに鬢付け油、それにロウソク、提灯、火打ち道具、懐中付け木、麻綱、印板(家からの書状の印を検証するような為)である。各自の薬も必要だった。

伊勢参りは講が出来ていて、そこからの団体旅行である。途中の宿も協定旅館のような制度もあったようだ。当時の旅籠代は2食付きで200文が相場だった。もちろん、上、下の区別はあり、木賃宿もあった。木賃とは薪代のことで、食事は自炊だった。この宿だと江戸中期以降は32文の安さだった。伊勢に着いての御師の宿ではもの凄く豪華な食事だった。

日本のお伊勢参りなどは物見遊山であるが、西洋の巡礼は目的の寺院へ直線的である。日本の参詣はあまり禁欲的ではないのだ。
富士登山は祈祷などがついた。善光寺参りは女性に開放されていた。「牛に引かれて善光寺参り」は明治30年代に広まった言葉とのことだ。実際は鉄道が引かれてから善光寺は人気がでる。
厳島詣での宮島のしゃもじは、、「敵をめしとる」ということで人気になったのは日清・日露からだということだ。江戸時代には無かったわけだ。

江戸時代は旅の情報誌とでもいう出版が盛んであった。また旅行記(道中記)も多く出版されている。万治元年(1658)の浅井了意が書いた『東海道名所記』が嚆矢で、ここに「かわいい子に旅させよ」の意味のことが書かれている。

庶民が旅行に出かけられるようになったのは経済状況も好転したからだ。百姓は稲作だけではなく、畑作も行い、山からその他の産物もとり、また農閑期には出稼ぎ的な仕事もしていた。百姓は農業従事者だが、農業専従者ではなかった。

女性の旅は難しかったが、それでも40過ぎ(家事から解放された女性)の旅は多い。若い娘の旅もあった。
箱根、熱海、有馬などの湯治も発達した。


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