「洋船建造」吉村昭 著

この作品は、幕末にロシアが日本との領土条約、通商条約を結ぼうと考えてプチャーチンが来航した時、安政の大地震でロシアの船が大破し、その代替となる船(西洋式)を日本の伊豆戸田で建造した時の物語である。

ロシアは嘉永6年にプチャーチン中将を乗せて、長崎に来航、翌年に再来航。この時、ロシアはイギリス、フランスと戦っており、それとの接触を恐れて、ディアナ号で箱館に来る。その後、大坂に来航して大騒ぎとなる。それから幕府の指示で伊豆の下田に向かう。

この時、幕府は川路聖謨らが応接する。ここで領土交渉、通商条約交渉が行われる。川路は粘り強く交渉し、ロシア側も川路の人柄を高く評価する。ヨーロッパにもいないほどの人物だと著書に記す。
この時に安政の大地震に遭遇する。大坂と下田に被害が多く、下田では全戸数856戸の内、全壊して津波で流失したのが813戸という状況になる。ディアナ号も津波に翻弄されて大破する。

日本側、ロシア側もお互いに助け合うが、川路は交渉中であり、過度にロシアの援助を受けるのはことわる。ディアナ号を修理することになり、西伊豆の戸田浦で行うことになるが、曳航中に暴風雨で沈む。
そこでロシア側は中立国のアメリカの船を雇って帰国する交渉をしたりして、何人かはこうして帰国する。この途中で英仏軍に捕まることもあった。

またロシア側が下田に来たフランスの船を、ここ日本で襲うことなどを計画して、幕府側を悩ます。

そしてロシアの船設計図で日本側が協力して洋船を建造することになる。構造も大きく違うが、細かい細工は日本の大工だ。ロシア人が驚くほどの腕で作り上げていく。

困難な条約も締結し、千島はエトロフ島までは日本領、樺太は互いに自国民が住んでいるところの主権は守るというような形で領土交渉も終わる。

洋船建造中は水戸藩、肥前藩からも見学に来て、その技術を学んでいく。ここで学んだ船大工などが後の横須賀海軍工廠の礎を造る。

完成した船は戸田号と名付けられ、ロシア軍人を運び、その後、日本に返還され、箱館にあったが知らないうちに廃船となる。


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