「集英社版日本の歴史⑮ 開国と倒幕」 田中彰 著

集英社版の日本の歴史シリーズの幕末の部である。第1章は「海に囲まれた幕藩制国家」として、江戸時代の漂流民の歴史を書いている。私が知っている漂流民はジョン万次郎、大黒屋光太夫などだが、鎖国時代に多くの漂流民が発生していており、ここに漂流民記録が表としてあり、参考になる。漂流先はアメリカ、メキシコ、アラスカ、ロシア、清国、台湾、東南アジアにわたる。

ジョン万次郎は土佐の漁民で、14歳で漂流し、23歳までアメリカで暮らし、学ぶ。語学、天文、地理、政治、航海、鉱山、捕鯨に通じる。23歳に琉球、24歳で土佐に帰り、藩校の教授。26歳時にペリーが来航して幕府直参となる。軍艦操練所の教授になり、咸臨丸でアメリカに向かう。明治3年にはヨーロッパ視察にもいく。万次郎の聞き取り結果は多く写本となって全国に行き渡る。幕末の有力者と交流を持つ。

ジェセフ・ヒコは播州の農民で、江戸見物の帰りに遭難。13歳から22歳までアメリカにいて帰化。ハリスの通訳を務め、のちに横浜で商社を設立。大統領のブキャナンやリンカーンに会っている。海外新聞を発行する。

漂流民の見聞情報が、禁制の中で全国に流布していたことを知る。

第2章は「黒船来航」である。ペリー来航以前の外国船の日本来航の状況も一覧図になっており、参考になる。ペリーが準備して来港していることを知る。アメリカの為に箱館、浦賀、琉球と同距離にある港を寄港地にすることも狙いとしていた。
この時、老中阿部正弘が諸大名から意見書を求める。阿部は幕府内から多くの人材を登用している。勝海舟、川路、江川英竜、高島秋帆もそうである。幕府は「ぶらかし策」をとるが、これも意識して取った策か、結果としてこうなったとの評価は分かれる。吉田松陰もそうだが、庶民も黒船に興味を示して見物する。もちろん観ることも禁制なのだが。

第3章が「開国」であり、通商条約と横浜、箱館の開港のことが書かれている。通商条約後の横浜の貿易状況が面白い。輸出品は生糸と関連品が圧倒的で、次いで茶。輸入品は毛織物、絹織物、金属、艦船・武器、日用品である。慶応3年になると米・砂糖も増える。
はじめは通貨比率の不備から、金が持ち出される。外国人は両替だけで巨万の富を得た。
横浜に上州出身の中居屋重兵衛などの貿易商人が生まれる。この人物は桜田門外の変の隠れた支援者とのことだ。

第4章が「安政の大獄と尊皇攘夷運動の展開」である。安政の大獄では合計79人が処罰される。宮中関係者20、幕府9、諸藩士20、農商が13人などである。
井伊のあとは久世・安藤政権となり、公武一和路線をとる。

天誅組の挙兵、生野の変は、ともに幕府の天領の代官所を襲うが、近傍の藩兵で討伐される。郷士や村落支配者層が手を組んで、年貢半減を旗印にする。

第5章が「列強との戦いと半植民地化の危機意識」を記述する。攘夷として東禅寺事件、生麦事件を起こす。その結果、薩英戦争、下関4カ国艦隊砲撃となる。長州の奇兵隊諸隊は善戦するが、この時の長州の高級武士はダメだった。
高杉は上海に行き、中国の惨状を観る。この時一緒に出向いた日々野輝寛の上海見聞記、高杉の上海淹留日録は諸藩の士に読まれ、植民地化への危機意識が高まる。
ロシアが対馬の一部を占拠したこともある。この時はイギリスが反対して頓挫する。対馬の宗氏は役に立たず、この時に国替えを願い出るありさまだった。

第6章が「倒幕派の論理の形成」である。尊皇攘夷運動の歴史や公武合体運動に触れている。

第7章が「幕藩体制の変容」である。幕府は文久2年に参勤交代の緩和を行う。タガが緩み始め、幕府はいくつかの雄藩の一つになっていった。

第8章は「万国公法と世界」として記されている。アヘン戦争の情報も伝り、一種のナショナリズムが生まれる。幕府は多くの欧米への派遣団を送っていることを知る。
遣米使節団は新見豊前守正興を正使として77名。安政7年(1860)1月~万延元年(1860)9月に出向き、咸臨丸107名も随行する。
遣欧使節団は竹内下野守保徳を正使として36人。文久元年(1862)12月~文久2年(1863)12月まで。
遣仏使節は池田筑後守長発を正使として35名。文久3年(1864)12月~元治元年(1864)7月まで。
遣露使節団は小出大和守秀実を正使として19名。慶応2年(1866)10月~慶応3年5月まで。
遣仏使節は徳川昭武を団長に30名がパリ万博に出向く。慶応3年(1867)1月~明治元年11月まで。

この時の日本人の好奇心に欧米人は驚く。曲芸団の広八一行も出向いている。また海外留学生も多くいる。諸藩も多く、薩摩が26人、長州11人、福岡7人で合計60人である。
幕府はフランス、オランダ、ロシアへの留学が多いが、薩摩などの他藩はアメリカ、イギリスが多い。

第9章は「西南雄藩と幕府」、第10章は「倒幕」として、幕末農民一揆やええじゃないか騒動や、慶喜の政権構想を書いている。徳川慶喜は、大君制とでもいう政権構想を持っていた。大坂に公府、大君の下に5つの事務府があり、議政院が設置、上院は大名、下院は各藩より一人。天皇は山城におく。実権はない。






この記事へのコメント

この記事へのトラックバック