「日本の歴史八 戦国時代 戦国の活力」 山田邦明 著

小学館の日本の歴史シリーズの8巻目の戦国時代である。戦国時代には魅力的な武将も多い。著者は、出自に関わらず力量があれば出世のチャンスがあった時代を生きて、生彩を放っているから人気があるのではと述べていると同時に、戦国時代を今に続く地域社会の礎が出来た時代ととらえている。そして戦国武将は地域のヒーローでもあることも、人気が高い一因かと分析している。

戦国時代は研究者によって諸説があるが、明応二年(1493)の将軍交代劇(明応の政変)からはじまり、秀吉が北条氏を滅ぼした天正一八年(1590)までの約100年間が妥当かとしている。長く取る考え方として、応仁の乱から大坂の陣までの150年間とする説もある。

中世までは京都や鎌倉にいた領主が列島各地に荘園を持ち、そこから年貢を取るという形態で、武士はそれら大貴族や寺社に任されて地域支配をする。当時は百姓もしたたかで年貢の未進も多かった。寺社や貴族は困って幕府に言う。
領主の代官と郷村の代表者の名主沙汰人が個々の百姓から集め、一括上納をしていたわけでもなく、百姓一人一人が納める場合もあった。公家の九条政基が自分の郷村に出向いて交渉していたこともある。

百姓たちが力を蓄え、村という共同体が成熟していく。15世紀後半になると、室町幕府も直接百姓に宛てた文書を発給し、村と百姓と直に向き合い、さまざまな施策をめぐらすようになる。

郷村同士の争いは多く、その解決手段に、湯起請、鉄火起請(煮えたぎる湯や熱した鉄を手にして、やけどの少ない方を勝ちにする)などが行われるが、それを担当する人は諸役を免除されたり報酬も与えられたようだ。

戦国大名は、所領の規模に段銭(田地の面積に応じて賦課)、棟別銭(家屋敷をもとに課される)を取っていた。軍事行動にも参加する義務や、普請役を務める義務もあった。漁師には海産物進上や船役もあった。また職人には国役として、領主の為に仕事をすることも必要だった。

戦国時代は、戦争ばかりしているようだが、戦場では足軽同士が戦う小競り合いで済ますものも多く、こういう時に、武士は戦場に出かけるものの、そこで他の武士と酒を飲んだりして交流しているのも多いことを書いている。

毛利隆元が自分の家臣について元就に愚痴をこぼしている文書を紹介しているがおもしろい。

戦国時代の後期になると、百姓が武士になる機会も限られてきた。そういうことで、そこに留まって家業に励めという指示も多くなる。秀吉が大名の国替えを行うが、大名は替わるが、その時でも百姓はそのままという体制をつくる。戦国時代前期のように、百姓が領主と結び、侍として駆け回った時代は過ぎる。

秀吉が紀伊を攻略し、雑賀の太田城を降伏させた時に、籠城していた百姓は20日分の食糧を持たされて在所に帰えされるが、この時に「これからは鉄炮、腰刀、鑓などを持ってはならぬ」と言う刀狩令が出てくる。

戦国時代の前期の近畿の動乱がわかりにくいが、このあたりのことも丁寧に書いている。応仁の乱は一応は東軍の勝利だが、西軍の諸将は滅ぼされることなく、力を温存させたまま領国に帰っていった。

戦国の動乱を乗り切って大名として残っているのは毛利、島津、上杉、伊達などごくわずか。江戸時代の大名の多くは、徳川家康の家臣、もしくは織田、豊臣に仕えた武将の子孫で、領主の総入れ替えがなされた。

当時は相続で揉めることも多く、大名は50才くらいで隠居して総領に譲るというのが多かった。

連歌師は旅をするが、常連のように泊めてくれる地方豪族がいたのも面白い。


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