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zoom RSS 「大名屋敷の謎」 安藤優一郎 著

<<   作成日時 : 2015/08/14 09:15   >>

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おもしろい本であった。江戸には大名屋敷が多い。江戸の70%を武家地が占め、その過半が大名屋敷。そこは全国300藩の江戸における城=濠のない軍事施設でもあった。だから治外法権であった。

お屋敷は通常は幕府から賜る上屋敷(殿様が住む)、中屋敷(若君や隠居が住む)と、各藩が独自に用意する下屋敷(接待所でもあり、江戸の生活物資の保管場所)の3つである。屋敷の中は国元の機構と同様に大奥もある。外壁に沿って長屋があり、そこに下級武士が暮らす。

もちろん男社会である。土佐山内家(20万石)は、上、中、下の屋敷に総計3195人が暮らすが、女は146人である。
江戸城への登城日は長い行列の大名たちが向かう通勤ラッシュであり、近くても2時間前あたりから出発する。

城と同じだから、東門から出たら東門から帰るなど規則は厳しい。門限も厳しいが、そこは袖の下などがきいていた。外出制限も厳しく、私用では月4回とかだった。

この本では、大名屋敷に出入り出来た御用商人として和菓子の金澤丹後掾の諸家への具体的な出入りの状況(菓子だけでなく、赤飯、鏡餅なども納める)が記されている。御用達になると各藩から木製の通行証(門鑑)をもらえる。ブランド価値を高めるために御用達に任命されたがったようだ。

もう一つ興味深かったのは江戸の農民が大名屋敷に出入りして、そこから下肥をもらい、野菜等を納め、馬の飼料を納め、馬の下肥(糞)をもらい、庭園の掃除、木々の剪定などを請け負っていたことだ。

尾張藩(市ヶ谷屋敷=今は防衛庁、赤坂屋敷=今は赤坂御所、戸山屋敷=今は早稲田大学文学部)のこのような御用を勤めた戸塚村(高田馬場の近く)の中村甚右衛門家の文書が寄贈されて、その研究成果を記していて、面白い。

中村家は近郊の豪農ともタイアップして尾張藩からの下肥を使うネットワークを形成し、いざという時に農民を人夫として供出する関係を築きあげていた。尾張藩との金額の交渉も行い、したたかに経営をしている。

幕末になると、動乱がはじまり、馬が大量に必要となる。飼料も高騰する。そこに英仏軍がアロー戦争の時に中国への補給基地としての日本に目をつけた為に高騰する様子などなるほどと思う。

中村家は明治になると新政府と交渉して下肥を確保したり、激動の中を生きていくが、武士が減少して苦労する。

この事例は尾張藩だけだが、大なり小なり、各藩も行っており、そのような江戸屋敷から江戸の農民、町民に落ちる貨幣の膨大さを認識できる。


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