「「幕末」15年7大事件で歴史の真相を大整理」 菊地明 著

この著者が取り上げた7大事件とは、「京都連続晒し首事件」、「八月十八日の政変」、「池田屋事件」、「長州藩VS幕府」、「薩長同盟締結」、「坂本龍馬暗殺」、「白虎隊と会津戦争」である。時期としては文久2年(1862)から慶応3年(1867)である。この間は6年間であり、タイトルにある幕末15年ではないが、タイトルの方は嘉永6年(1853)のペリー来航からを意味している。この年に12代将軍家慶が死去している。この本を読んでも、わかりにくい話は相変わらずわからないが、この著者なりに整理している。

「京都連続晒し首事件」は、文久2年に起きた京都の天誅騒ぎであり、主に土佐勤王党が主導した。安政の大獄への復讐として公家侍から武士、与力、目明かし、商人まで殺される。この治安の悪化に対応して会津藩が京都守護職となり、翌年から新撰組を使うことになる。

「八月十八日の政変」とは、文久3年3月に天皇が攘夷祈願で下鴨・上賀茂神社に行幸、次いで石清水八幡宮に4月に行幸、さらに大和行幸が計画されるが、薩摩藩・会津藩が長州系公家を追い出すように策略したのが、8月18日の政変である。孝明天皇が攘夷派ながら親幕派だったということになる。

「池田屋事件」は、天誅を行い、治安を乱す浪人を取り締まる為の新撰組が、8月18日政変以降も京に残って、攘夷倒幕(=長州復権)を画する勢力(=京で騒動を考えていた浪人)を池田屋で殺した事件である。この後、長州藩は出兵し、禁門の変を起こす。

「長州藩VS幕府」は、朝敵となった長州を討つことになり第一次長州征伐を行う。長州藩は恭順として藩内の過激派を粛正する。そして長州征伐も中途で終わる。しかし高杉晋作が長州藩内部で挙兵し、実権を握り、長州藩は表向きは恭順だが、裏で武装することになる。これに対して第二次長州征伐となるが、薩摩は大義ない出兵として拒否する。そして、長州藩の新式銃に幕府軍は大敗する。そして将軍家茂が逝去し、休戦となる。同時期に孝明天皇も逝去。

「薩長同盟締結」は第一次長州征伐後に坂本龍馬、中岡慎太郎などの働きかけで締結される。その狙いは軍事同盟というよりは、長州藩の冤罪をはかる同盟がはじめだったと、著者は書く。

「坂本龍馬暗殺」は、近江屋の2階に龍馬、中岡慎太郎、下僕の藤吉、峰吉(鳥肉を買いに出る)がいる時に、襲ったのは見廻り組の佐々木只三郎、今井信郎、渡辺篤、世良敏郎(鞘を忘れる)など4名で、襲撃の理由は寺田屋で龍馬がピストルで幕吏を撃ったためであると書く。

「白虎隊と会津戦争」では飯盛山で自刃19士の内訳は、蘇生した飯沼貞吉の話から自刃は15名、残りは途中で戦死が3名、遅れて来て、この場で自刃が1名となる。また、会津城下で妻女などの自刃が8月23日だけで140人。明治2年に遺体の埋葬が許可されたのは阿弥陀寺に1281体、長命寺に145体。




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