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zoom RSS 「栗原信秀の研究」 日本美術刀剣保存協会新潟支部

<<   作成日時 : 2015/07/03 08:39   >>

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新々刀の刀工:栗原信秀に関する研究書で、昭和51年の発刊である。信秀の地元の新潟県の愛好団体がまとめたものである。
佐藤寒山氏、辻本直男氏という中央の権威のほかに、渡辺淳一郎氏、遠藤孫蔵氏、阿部昭忠氏という地元の愛好家、研究者が分担執筆している。

栗原信秀は人気刀匠:源清麿の弟子だが、清麿とは二歳しか違わず、入門時期は、彼の京都での修業(仏具関係の金属加工)を終えた30歳代と遅い。この入門の経緯も様々に憶測されている。紹介されている古老が信秀から聞いた話だと、刀を造りたくなり、京都の小道具屋に、今の世で日本一上手な刀工は誰かと聞いたら、清麿の名が出てから入門したと言ったようだが、この研究書の中では、幕府の旗本で京都に住んでいた武家故実家の栗原信充と関係ができて、彼から同じ幕臣で清麿のパトロンでもある窪田清音を通して清麿門下になったようなことが書かれている。何か資料があるのであろうか。

いずれにしても、名に他の門人のように「清」「正」を使わないことから、客員的門人だと考えられる。ただし、清麿門下の中では、作風は鈴木正雄とともに、もっとも清麿に似ている。

そして後に、単独で高野山の奥の院に清麿の墓を建立している。相当の金がかかったものと考えられる。この背景に、幕府の御用を務めて仕事が豊富にあったことが推測される。ペリー来航時には浦賀で打っているし、長州征伐の時に大坂まで出向いて打っており、一橋慶喜にも献上し、羽織をもらっている。

これだけ幕府関係の仕事をしたが、維新後も明治政府にも重用され、明治天皇の御用(今の靖国神社の御神鏡の製作を行う)や、明治6年のウィーン万国博覧会には是一、宗次とともに出品を依頼されたりと、重用されている。

栗原信秀は彫りも上手なのだが、その彫りに非常に紛らわしい後彫りが混じっていることが悩ましいところである。
この本でも、遠藤孫蔵氏は後彫りに許容的態度、一方、渡辺淳一郎氏は許せないという態度で論述しており、興味深い。そして論を寄せている阿部昭忠氏が、その後彫りの張本人とも聞いたことがある。

「彫同作」の添銘が無くても自作彫りがあることから、彫りの偽物(後彫り)の見極め方は非常に難しいようだ。信秀特有の彫りで人気が高い天鈿女命(あめのうずめのみこと)の彫りに偽物が多いと書く識者もおり、始末に負えない。

信秀は職人的風貌で、金払いが良く、酒飲みだったようだ。地元の言い伝えでは、自分の鍛刀場所で自刃したようだ。享年66歳である。

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