「第一次世界大戦と日本」 井上寿一 著

著者は日本では第一次世界大戦は注目されていないが、欧州では第一次世界大戦は大きな意味を持っていると書く。日本は第一次世界大戦前後の大正時代も影が薄い。しかし、大衆の社会格差、長期の経済停滞、政党政治システムの混乱などが、現代と似ていると言う。
もりだくさんの内容で私の理解が及ばないところもあるが、内容を紹介したい。

第一次大戦後、戦争に懲りて、日本も含めて軍事費が削減される。国民総力戦から国民の政治への参加も大事と考えられ、普通選挙が推進され、政党内閣ができる、国際政治は2国間の秘密外交から公開外交になる、国際連盟ができる。アメリカの力が圧倒的になるという変化が起きる。民族自決の精神も生まれる。

戦争は1914年から始まる。塹壕戦、砲撃戦になり、毒ガスも出る。戦車が生まれる、飛行機が戦場に、海では潜水艦があらわれる。
日本は日英同盟があり、英国に縁が深い加藤高明外相が、まずドイツ租借の青島を攻める。1917年にドイツが無制限潜水艦作戦を宣言し、アメリカとほぼ同時に地中海に軍艦を派遣する。
この時代は日仏協約、日露協約もあったが1917年にロシア革命。1918年アメリカとシベリア出兵(アメリカはチェコ兵の救出。その後、日本は居座る)。

第一次世界大戦は1918年に終わり、1919年パリ講和会議。日本は64名で乗り込む。日本は山東問題と南洋諸島問題の権益獲得を目指す。他は世界の大勢に従う方針。アメリカのウィルソン大統領の14箇条が論議の中心。講和会議では影が薄いも、国際連盟で常任理事国として加盟。人種平等条項で頑張るが挫折する。この一連の会議で外務省若手に問題意識が出て、省内に革新同志会が生まれる。
国連の少数民族問題の特別理事会の議長に石井菊次郎が選ばれ、奮闘する。その後任の安達峰一郎、補佐した杉村陽太郎、佐藤尚武は国際連盟での4人の国際会議屋とも呼ばれ、活躍する。

国際間で、国際協調、軍縮の機運が生まれる。1921年のワシントン軍縮会議で加藤友三郎海相は米、英、日の主力艦の5・5・3を認める。軍内に反感はあったが、財政上から軍縮が不可欠だった。
陸軍も田中義一のもと、宇垣陸軍次官が4個師団34000人と馬匹約6000頭の削減を図る。削減分を軍の装備の近代化にあてる。リストラした陸軍将校を学校に配属して軍事教練を担当。要はこれからの戦いは国民の総力戦との認識が出る。

総力戦=国民の賛成が大事ということで、普通選挙にも理解が出る。大正デモクラシーである。

民族自決の精神は東アジアでも中国、朝鮮のナショナリズムを生み出す。日本は国際連盟の場で民族自決・人種平等と言っておきながら、内では他のアジア人に差別意識があった。

一次大戦で日本では海運業、繊維産業、鉱物資源業者に成金を生み出し、顰蹙を買う。そして1920年4月に戦後不況がくる。

この間、農村と都市の格差がひどくなる(この農村の窮状が青年将校蹶起の一因)。貧困農民は都市に流れ込むが都市の中で貧困層は増加していく。
ここに朝鮮半島からの移住者も1913年3635人が18年には22411人、20年には30189人、22年には59722人と増加する。大阪に来ることが多かった。大戦中の労力不足を補うためだった。
大正期はモダンガールの言葉があるように女性も社会進出をした。生活難がこの風潮を後押しした面もある。

このような時代に1923年9月1日に関東大震災が襲う。

著者が言うように、現代と似ていると言えば似ているが、そうでもないとも言えるし、よくわからない。教えられることも多く、勉強にはなる。




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