「江戸への新視点」 高階秀爾・田中優子 編

この本は、日本の情報を海外に向けて発信することを目的とした英文雑誌「ジャパン・エコー」誌のために執筆されたものの中から、江戸時代を見直す視点で書かれたものをまとめたものである。それぞれの識者が書いた次の12篇が収録されている。「富士山」、「参勤交代と外国人行列」、「体制と役人」、「農民」、「結婚・離婚」、「芸者」、「町づくり」、「落語」、「警察と裁判」、「旅」、「絵と言葉」、「技」である。

「富士山」では、奈良や京都の人にとっては名前だけの存在だが、江戸の町の人にとっては日常に見ることができる自分達の山。そして富士講の信仰の山となって、旅の目的地にもなり、、その一環として江戸中にミニ富士山が造られる。

「参勤交代」は各藩には多額の負担を強いる。紀伊徳川家の天保2年のデータでは、在府費が二万千両余、参勤旅費が一万三千両で計三万四千両余。一方、在国時の藩主経費は一万千両。前田家も在国の費用が31.8%、土佐山内家も国元費用が45%で他は参勤費用と江戸での費用だ。その結果、途中の町や江戸にお金が落ち、経済の善のサイクルの一助になる。文化的にも日本の一体化を醸成する。
「外国人行列」は朝鮮通信使が新将軍の就任祝いに来るが江戸時代で12回になる。総勢500名の行列となる。琉球国王使節は百人前後だったが、これに薩摩藩がつき、総勢千人を超えた。

「役人」はいつも非効率だとされるが、役人嫌いの英国公使オールコックも江戸時代の庶民が平和で豊かな生活をしていたのを認めている。また儒教体制下だが、今の役人ほど年功序列的なものではなかった。一揆が発生しても、武士役人は鉄砲、弓矢などの使用を厳しく自制していた。

日本の「農民」は、アメリカが大工場で行った産業を、家庭で生活必需品を造ることで代替した存在でもある。慶安の御触書にも余剰品の生産を奨励していた。17世紀には最大の輸入品の生糸が、幕末には最大の輸出品になった。このような輸入代替はサトウでもあり、サトウは18世紀後半に薩摩、讃岐でできるようになる。労働する農民のスキルの向上があった。

「結婚・離婚」では、武家の結婚は持参金が大事。だから離縁するときは妻に持参金を返す。庶民の離婚は夫から妻への離縁状(三行半)が必要。妻が離縁状無しで再婚したら、髪を剃って親元に帰される。しかし、夫は離縁状を渡さないで結婚すれば、もっと厳しい所払い(追放)だった。だから離縁状は夫の権利ではなく義務だった。江戸時代は離婚率が武家、庶民ともに高く全体で11.3%(現代は2%前後)。

「芸者」は元の意味は、男も含め、様々な技能を持った人間。江戸初期の遊郭には色と芸能があった。これを幕府は色は別に分けた(吉原)。芸能は若衆歌舞伎、野郎歌舞伎になり、踊りなどの師匠になる。吉原には当初は芸もできる者がいたが、売色はしなかった。芸者が遊女の領分を犯さないようにと見番を導入。

江戸の「町づくり」は、下町は運河を整備した。山の手は、その坂下が町人、上は武家の町。ヨーロッパは教会が町の中心だが、日本の寺社は、それぞれの町の際に置かれた。上水道は完備され、井戸端がコミュニティとなる。屎尿は肥料として近郊農家に買われ、リサイクルは行われた。

江戸は百万都市だが、「警察と裁判」は2人の町奉行(月ごとの交替制)が行い、それぞれの下に与力が25人、その下の同心は240人だった。同心は私的な諜報者(目明かし、岡っ引き)を配下に置いている。また町には、名主→大家の組織と、自身番と呼ばれる事務所があった。住民の相互監視もあった。

「旅」では、日本の街道は清潔だったと外国人が書いている。馬の馬糞や履き古した草履は肥料となった。参勤交代、お伊勢参りなどで旅行者は多かった。子供だけでも旅行できるような相互扶助の心もあった。荷物を次の宿まで、あるいは自宅まで届けるようなシステムもあった。

「絵と言葉」では、日本は活字よりも版木での印刷。この為に、一緒に絵なども入れやすくなる。これがマンガなどにつながったかと記している。

「技」では、日本人は”型”を繰り返し、実施することで立ち居振る舞いが洗練され、美しくなる。誰にでもできる”型”の修行があって、個人の能力の高みである”技”に至る。誰もが”技”を磨く向上心を持ち、好奇心も強く、すぐに作り上げてしまうことで外国人が驚く。

以上のように、面白く、新鮮な視点を提供してくれている。

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