「奪われた「三種の神器」」 渡邉大門 著

三種の神器は、正式には八咫鏡(やたのかがみ)、草薙剣(くさなぎのつるぎ)、八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)をさす。天皇陛下でも拝見したことが無いものだ。
八咫鏡は天照大神が天石窟(あまのいわや)に入った時に、八百万の神々が天金山(あめのかなやま)の鉄を取って造ったといわれる。後に伊勢神宮に安置される。
草薙剣は出雲で素戔嗚尊が八岐大蛇を退治した時に、その尾から出た剣である。熱田神宮に安置されている。
八坂瓊曲玉は、天照大神が天石窟に入った時に、八百万の神々が玉祖命(たまのおやのみこと)に命じて造らせたとされている。

天皇が即位するときに三種の神器が受け継がれてきた。しかし源平の戦いで、平家方に擁された安徳天皇が草薙剣と八坂瓊曲玉と一緒に入水され、八坂瓊曲玉は回収されたが、草薙剣は行方不明となる。大変に深刻な問題として捉えられ、三種の神器無しで即位した後鳥羽天皇はコンプレックスにさいなまれる。私はこのことの心理的葛藤が後鳥羽院に刀剣への関心をもたらし、院みずから作刀を手がけ、後鳥羽院番鍛冶という刀剣界では名高い制度を生んだのではないかとの仮説を提示している。
http://www.mane-ana.co.jp/katana/kenkyu.html#ken141228

それ以降、南北朝時代になると、三種の神器(剣は代替品)を持って後醍醐天皇が移られたりして、この保持による正統性が取り沙汰される。後南朝に与する一党が嘉吉3年に内裏を襲い八坂瓊曲玉が奪われる禁闕の変も起きている。そして、これを取り返した長禄の変も生じている。
しかし、だんだんと三種の神器が無くても、天皇は天皇というように理論づけが成されてきた経緯を書いている。

ここで面白かったのは、赤松満祐が将軍足利義教を自宅で暗殺した嘉吉の乱について、赤松満祐は衝動的にやったのではなく、天皇として南朝の後胤小倉宮の子、将軍として足利直冬の孫の足利義尊を立てて、正統性を訴えながら、権力を奪おうとしたと記述されていたことである。なるほどと思う。この事件は変な事件だなと思っていたが、納得する。

こういうことは応仁の乱でもあったようで、山名宗全はやはり皇位につながる人物(小倉宮の末裔という岡崎前門主の息子を南帝)を立てて、大義名分を持って戦おうとしたようである。ただ応仁の乱は戦国時代の先駆けである。山名宗全は三種の神器による正統性などは無視して「およそ例という文字をば、向後は時という文字に替えてお心得あるべし」と言って、先例無視を当然と思ったようだ。


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