「日本史小百科 キリシタン」H.チースリク監修 太田淑子編

日本におけるキリシタンのことについて戦国時代から明治初期までのことを網羅的に記している本である。序章に世界のキリスト教の歴史を簡単に述べ、日本のキリシタン研究の実績をまとめている。第1章では大航海時代のアジア諸国とキリスト教の関係を書いている。第2章が日本布教の歴史、第3章がキリシタン文化、第4章がキリシタン禁制、第5章が潜伏と崩れとして江戸期の隠れキリシタン弾圧のことである。第6章が明治期の弾圧とキリシタン教会の復活、終章が近代日本とキリスト教の展開である。私は第2章を中心に読んだ。

ザビエル以降、キリスト教が広がるが、室町期(戦国時代)は九州、尾張、美濃までの西日本である。関東、東北には豊臣期に大名が移封される天正18年から広まる。宣教師によっては北海道まで行く人物もいた。

京都は荒廃していたが「都で受け入れられるものは、遠隔の諸地方で尊重され、そこで評価されないものは、他の諸国では、ほとんど重んぜられない」(フロイス『日本史』)と認識されていて、永禄2年(1559)にトルレス(ザビエルに次ぐ布教長)はガスパル・ヴィレラを上京させ、翌年足利義輝から布教許可をえる。ただ正親町天皇はキリスト教に反対であり、永禄7年(1564)に将軍義輝が松永久秀に殺されると、綸旨で追放。永禄12年(1569))に信長によってまた許可されるが、信長が京都からいなくなった四月にまた天皇が禁止との変遷で布教されていく。

イエズス会は、日本を豊後、下(豊後以外の九州諸国)、都(畿内諸国、尾張、岐阜、中国地方、四国)の3地区制にする。日本布教長の下に地区長だ。豊後のウェイトの高さが理解できる。また、この頃は西日本だけだったことが理解される。

キリシタンの洗礼を受けた領主層は、いわゆるキリシタン大名と呼ばれ、35名以上いるといわれている。
九州の領主は貿易の利を得る為に、キリスト教になるという欲得一緒のことが多い(例外はある)。一方、畿内の領主は高山右近もそうだが、純粋にキリスト教に救いを求めるものが大半。

九州は地生えの大名が長く続いたが、畿内は領主が移封で替わる。だから領主が替わると、キリスト教への熱心さも変化して根付かない面もあったようだ。

はじめ宣教師のもとに来たのは西日本の貧窮民衆(小職人、漁民、船員、村民、流浪民、売春婦、犯罪者、病人、孤独者、心身障害者、被差別工人、没落貧窮宗教家)と、たましいをさまよわせていたきまじめな武家。

戦国期は3つの期に大別できる。第1期は1549年にザビエルが来日してから1570年に初代布教長トルレスの死までと、1580年にいたる布教長カブレルの時代まで、第2期は1579に来日したヴァリニァーノの新しい布教体制の時代で1587年の豊臣秀吉が公布した伴天連追放令までと、1598年の秀吉の死まで。第3期は1598年セルケイラの来日から1614年の禁教令による宣教師の追放まで。

巻末に関連年表と関係人物事典、地図があるが、人物事典が興味深い。信心を貫いて殉教した人、棄教した人、それぞれの生き方である。これは人種を問わない。遠藤周作の『沈黙』の世界だ。




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