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zoom RSS 「物語 京都の歴史」 脇田修 脇田晴子 著

<<   作成日時 : 2014/06/12 08:31   >>

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ご夫婦で、それぞれが歴史学者の脇田夫妻の共著である。歯切れが良い文章なのだが、網羅されていることが、京都の数多い寺社ごとの歴史から多くの産業のことまでと幅広く、加えて、それが千年の歴史だから、頭に入りにくい。ただ私の趣味の刀剣類のことも産業の一つとして記されており、そこは興味深い。

はじめに時代ごとの地形図、地図が出ているが、東側の賀茂川と高野川の合流地点(下賀茂神社)、西側は丹波からの桂川の流れに挟まれ、その合流した宇治川とその南の大きな巨椋池(宇治平等院)に挟まれた盆地であり、上古は湖沼だったことが理解できる。

2万年前から人が住み着き、本格的な都は桓武天皇の遷都からだ。桓武天皇は宗教界の刷新も求めたので、南都仏教の移転を認めず、東寺、西寺がまず造営された。

京都では1300年代から法華宗(日蓮宗)が広まる。寛正の頃には京都の半分は法華宗とまで言われる。土倉や酒屋などの富裕層を信者に持つ。本阿弥も後藤も法華宗の有力信者だ。

戦国時代の頃は上京(一条通りから北)と下京(三条通りから五条通り)に別れて発達したことがわかる。その後、間に聚楽第が出来、それが江戸時代には二条城、所司代屋敷に変わったわけだ。

中国の宋や明への輸出品は大半は京都の産業から生まれたもので、刀剣類、蒔絵類、金屏風、扇などとされている。延久5年(1073)に太宰府商人王則貞は高麗王に刀・弓箭を進じるという記録があるようだ。北宋の時代に欧陽脩の日本刀の詩ができていた。平安期には七条市あたりに集住していた刀工は三条、四条、粟田口に移り住む。
室町・戦国期はさらに活発となり、刀は信国、その拵は藤左衛門が有名だった。

奈良から運ばれてくる「数打ち」=藁で束ねてあるので「束刀」を元に、戦国期ごろには二条室町鞘の木彫り、塗師、柄、柄を巻く糸造り、鐔など、細かな分業で太刀飾りがなされ「拵え物」といわれて売り出され、「太刀屋座」という問屋集団が問屋制手工業で大量生産していたようだ。二条には鮫皮で有名な店もあった。
戦国期では、二条油小路に「拵え物」「仕立刀」といわれる刀屋があった。同様のものを売る「寺町物」より良いという評判であった。

江戸時代における鷹峯の本阿弥家は、もとは京都の今出川にあり、刀剣の拵え、目利き、研ぎ、ぬぐいなどを家職とし、鐔、柄、鞘、付属品を製作する職人たちも金工・木工、漆工や皮細工、紐細工の者も差配していた。

扇も有力な輸出品。扇は日本の発明だそうだ。「城殿駒井」というところで造られるのが南北朝時代には有名。また「御影堂扇」は中世近世を通して最優秀な製品。室町・戦国期はたくさんでき、その中では布袋屋が大きいとある。


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