「身分差別社会の真実 新書・江戸時代②」斎藤洋一+大石慎三郎 著

この本は江戸時代における身分差別について書いている。士農工商という身分は明治7年に使われたもので、江戸時代にはなく、武士と平人(実際は百姓、町人)という区分だった。そして百姓と町人では実際は町人の方が上席という事実が多いようだ。これはどちらが藩に貢献しているかによるわけだから、町人、特に御用商人などはそれなりに大事にされたのであろう。

江戸時代は同じ武士の中でも、大名は大名の中で、家格(将軍家との縁の近さ、石高、官位)で差別があった。武士も同様で幕府でも旗本と御家人は将軍にお目見えできるかで差別。さらに武士の家の中では長男とその他で差別があった。
農民も本百姓(高持ち百姓)と水呑み百姓(無高百姓)で大別され、そこに本家、分家、新来、古来などの要素で、ランクづけされていた。
町でも地主(家持)と非地主(地借、店借)で大別されて、様々にランクづけされていた。
いわば総差別の時代であったわけだ。

被差別民のことに詳しい。言葉として「穢多(えた)」「非人(ひにん)」であるが、この呼び方は地方によって様々であり、関西などでは「かわた」、関東では「長吏(ちょうり)」などとも呼ばれていた。他にも「ちゃせん」「はちや」「とうない」「河原者」「散所」「清目」「ばんた」「わたしもり」「おんぼう」などもあった。

これら被差別民は江戸時代に作られたと考えられていたが、調べるともっと以前から存在していた。これら被差別民の人口は近畿地方が多く、遠ざかるにつれて少なくなることからも、古代からと考えた方が理解しやすい。

中世では病気などで本来の社会から疎外、排除された人びとだった。寺社の掃除や葬送、斃牛馬の処理や、収獄、処刑など、呪術的芸能などに従事してケガレ、キヨメの職能に関係していた。賤視と同時に畏怖の念で観られていたが、時代が経つにつれて、畏怖が欠落してくる。ケガレ意識から人つきあいの排除まで進んでいく。頭髪を茶筅(男)、折わげ(女)にされたり、住居を隔離されたり、衣服に皮をぶら下げられたり、浅黄無紋の着物、無紋渋染などに限定される。宗教も差別し、戒名なども禅門、禅尼などに限定される。

職業としては皮革業、「かわつくり」=「かわた」が多い。芸能の猿回し=猿飼、万歳や、それから火葬、医薬、施薬、助産、灯芯製造、履き物製造に携わり、牢番役、処刑などの下級警察的な役割も担わされる。農業をやる者もいた。織物産業に必要な竹筬(たけおさ=織機の部品)、砥石販売も被差別民の職業だった地域がある。





ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 1

なるほど(納得、参考になった、ヘー)

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック