「絵画の変ー日本美術の絢爛たる開花」 並木誠士 著

基本的な日本美術の知識が十分でないと、理解するのに難しいところのある本である。だから以下の私の感想も的確かどうかはまったく自信はない。

十六世紀は絵画に新たな役割や機能を与え、それに伴う新しい主題を与えた時期である。それは足利将軍権力の求心性の喪失と戦国大名の台頭、応仁の乱後の復興における庶民の活躍と、それに伴う上層文化と庶民文化の交流。貨幣経済の発展と日明貿易による新しい文物の流入、宗教は法華宗、一向宗の台頭による宗教の庶民化と禅宗寺院における世俗的権力の介入などから生じている。

「例」(いままで通りにやること)から「時」(その時々の状況に応じて対応すること)への視点があらゆる側面でおこった時代である。新しい画題が生まれ、あるいは中国風の画題を日本風に描き直すような流れもある。現実を描く、風俗画も生まれる。そこに南蛮人も渡来して南蛮文化も現れる。

戦国大名、禅宗などの大寺院は、新しい画家集団の狩野派を登用する。それは会所、大広間などの他者が参会する場所に大画面で描かれることも多くなる。屏風絵の時代でもある。

美術の下克上もおこり、下品が上品を凌駕していく。上の人も下品のものを使うことがおこる。下品とは町絵師の作品、従来の画題と外れた絵などである。

狩野正信は唐様の水墨画を学び、日野富子の支援も受けて肖像画も描く。土佐派から仕事を奪う。元信は絵巻も手がけ和漢の融合を行う。この頃、中国から珍し鳥が輸入される。それを写す。また元信は弟子による共同制作も石山本願寺の仕事では行っている。禅寺に付属の画家ではなく、本人は法華宗だが、宗教的に自由に仕事をする職業画家的な立場だった。永徳になると、大画、障壁画で腕をふるう。

京都で扇屋が多く生まれる。土佐派、狩野派に属さない絵師は町物、下品と呼ばれる画風を広める=喜ばれる。必要以上に大きな金銀箔をまき散らす。

お伽草紙と奈良絵本もあった。新興町人のニーズ。そのうち俵屋宗達が扇屋でも有名になる。和歌と絵画も密接に関係し、画題を作っていく。「扇の草子」は扇絵をまとめたようなものであり、「武蔵野」と言うと、満月とススキと、あとは富士山、「柳橋水車」は宇治川に橋、柳、水車、蛇篭があるような画題となる。『伊勢物語』、『源氏物語』などの物語に題材をとった絵も観られる。

そのうちに、従来は絵にしないような題材も絵にする。モノだけ(小袖)を画くものも出る。「萩芒」、「菊一色」、「松一色」と言われるような同一のものを描くものも出る。

風俗画が生まれる。画家と注文主が同時代の人々の様々な姿を描写対象とする。その一つに縁起絵巻、参詣曼荼羅がある。これらも風俗表現が充実している。
洛中洛外図も多く書かれる。当初は理想的都を描く。四季も画く。途中から生き生きした姿を画くようになる。



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