「芸術・美術・建築からわかる日本史」 小和田哲男監修

昔は、この手の入門書はバカにしていたが、最近は知識を整理する上で面白いと感じて読んでいる。知識の整理だけでなく、知らなかった知識の取得にも役に立つ。
美術という観点から写真が多い本であるが、芸術と日本史をどのような視点で書いているのかに興味を持って読んだ。
いくつか「なるほど」と思ったことを記しておく。

縄文土器にあった籾の痕跡などから、今は日本での水田耕作は紀元前10世紀から9世紀にはじまったとの説も出ているようだ。
漢委奴国王の金印に江戸時代の偽造説もあったようだが、江蘇省でも同様のものが発見され、その懸念は無くなった。
この前に「大出雲展」が開催されたが、古代出雲は謎だらけで、古事記、日本書紀、出雲国風土記で、出雲大社の創建伝承も、全部違うことを知る。
仁徳天皇陵とされているものは、クフ王のピラミッド、始皇帝陵と並ぶ世界の三大墳墓とのこと。考えてみれば凄いことだ。それだけの民がいて、国力を当時から持っていたということだ。

法隆寺は、2004年の若草伽藍跡の発掘で、焼けた瓦などが発見されて、日本書紀の670年に焼けて再建というのが定説化されてきた。
キトラ古墳の天文図の精密さは古代アジア随一とのこと。
大化の改新は架空の話で、藤原氏の祖を美化するための物語という説はあるようだが、この時代に政治改革が行われたことは確からしいという説が近年出ている。
「天皇」の字が記された7世紀後半の木簡が1998年に発掘された。これは天武天皇をさすと言われているが、「大王」から「天皇」に、この頃に移行していた。
また長屋王の屋敷跡からも大量の木簡が出土したようで、相当な権力を握っていた様子がわかる。

薩摩隼人で名高いが隼人族は赤黒の独特の渦巻き模様を持っており、それが平城京からも出土している。
現存している絵巻は、発注した人物の思惑が色々と現れているようだ。伴大納言絵巻からは伴善男の無念、北野天神絵巻には菅原道真の恨み、後三年合戦絵巻が語る源義家の人気(自分の所領を部下に恩賞とした為)、天狗草紙は僧侶の所業を天狗になぞらえて風刺、蒙古襲来絵詞は竹崎季長の恩賞目的というぐあいだ。

また屏風絵も同様で、川中島合戦図屏風は、軍学の師が自分の軍学が優れていることを立証するため、姉川合戦図屏風、関ヶ原合戦図屏風は、家康の功績を顕彰するために書かれた。長篠合戦図屏風には鉄砲の3段撃ちは画かれていない。上杉に贈った洛中洛外図屏風は、信長の外交交渉(都の繁栄ぶりを示し、信長の天下統一が近いことを暗示)などである。

藤原道長の日記「御堂関白日記」は道長が30歳ころから55歳頃までの日記で、朝廷での作法、儀式などを細かく書いてあるそうだ。その日の吉凶を必ず書くなど当時の風習がわかる。

また次のこともはじめて知る。
銀閣寺は江戸時代初期に庭に白砂が敷き詰められて、銀沙灘ができあがる。これが銀閣の由来。
鎌倉の大仏は露天だが、それは1498年の明応地震での津波で流されたため。
陽明門の眠り猫は、雀を襲うことなく眠ることで太平の世の中の象徴。
今の三越の前身、越後屋呉服店は店内100畳で1000人以上の奉公人が勤めていて、当時は世界一。


ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 1

なるほど(納得、参考になった、ヘー)

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック