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zoom RSS 「一揆の原理」 呉座勇一 著

<<   作成日時 : 2017/10/11 09:18   >>

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近年、「応仁の乱」がベストセラーになった著者の本である。「応仁の乱」はまだ読んでいないが、この本を読むと、折りに触れて現代の事象に当てはめて解説しているのが歴史学者にしては珍しい文章だと思う。以下、面白いと思ったことを箇条書き的に抜き出している。

一揆は唯物史観的に階級闘争として権力と闘っていたのではなく、人のつながりの一つのパターンと唱えている。
そして、江戸時代の一揆ではなく中世の一揆を対象としている。江戸時代は百姓一揆だが、一揆はもっと幅広いとしている。すなわち南北朝、室町、戦国時代が一揆の黄金時代で、呼称(種類)も国人一揆、荘家一揆、土一揆、一向一揆など多様である。すなわち一揆は農民の武装蜂起ではない。

3〜4章では何をもって一揆としたかを書いており、一味神水の一揆の儀式が宗教的な意味を持つが、だからと言って宗教がそんなに大きな意味を持たないと説く。その一例として、7章で、一揆を大勢で無く2人で組んでいる事例を紹介している。

一揆の武器も、竹槍で闘う一揆は明治時代のそれも10年間程度である。筑前竹槍一揆は、明治に地租改正があり、それの反対で「竹槍でドンと突き出す二分五厘」として、地租が3から2.5分になった事例を紹介する。そしてこの動きは自由民権運動にいく。

江戸時代の一揆は竹槍を武器にせずに、鎌と鍬が得物である。すなわち生産用具である。当時、百姓は武器を持っていたが、害獣を退治するためとされていた。鎌や鍬は生産用具であり、百姓は持つ必要があり、これをもって一揆に参加したわけだ。

江戸中期になると年貢増微策と、その後の飢饉で、全藩一揆(惣百姓一揆)=強訴が主流になる。暴力的だが、持ち物は生産用具である。姫路藩は一揆に対して鉄炮を使うが、百姓は鉄炮は使わない。だから飛び道具無用と姫路藩は幕府に指導される。享保期以降に、百姓一揆の処罰規定を整備していく。
藩も、一揆の発生=統治の失敗と見なされて、取りつぶされる可能性があった。

百姓は領主の悪政に対抗するために、直訴や逃散で対抗。隣と同じ年貢を納入すれはどこへ逃散しても構わないのが、江戸初期までのルールである。そこで江戸初期に藩政改革が行われ、年貢は全藩で統一され、藩の運営は官僚的になる。

昔から仁政イデオロギーがあり、農民は天下の御百姓。武士は百姓がちゃんと生活できるように政治をするというものだ。
明治の武装一揆は新政府に対する反対の一揆でもある。
また百姓は「一揆」を自称しないで、「強訴」と考えていた。

中世は一揆が認められていた。中世は百姓だけでなく、武士も僧侶も一揆を結んでいた。そして本人たちが堂々と一揆を名乗る。

「荘家の一揆」…庄園領主に年貢の減額や代官の更迭を求める。庄園単位で一揆。
「土一揆」…酒屋や土倉などの金融業者を襲撃し、幕府に徳政令を出させる。最初は1450から60年代の20年刊。計8回の土一揆が京都を襲う。武士や浪人も参加。
「武士の一揆」は「国人一揆」と仮に名付ける。
「宗教一揆」は同じ宗教を信じる者。法華一揆、根来一揆。一向一揆。

なお、島原の乱は宗教だけでなく重税に反対する者も含まれる。

中世の強訴は、比叡山の山僧の要求が代表的である。1099年に関白藤原師道が呪詛で死ぬ。これで叡山の強訴が恐れられる。鴨川で食い止められなかったら、叡山の勝ちというゲーム感覚。

一揆は同一、それが一致団結してになる。太平記には「赤旗一揆」、「黄旗一揆」などの言葉がある。一揆に正当性を持っていた。

土一揆では、徳政要求が正義だと思っていた。徳政一揆は飢饉の時に生まれる。金持ちは寄付しろという動き。有徳思想。当時の言葉で施行。

罪があれば一同。死なば諸共。団結は難しいのに一致団結して要求するのだから正義という論理である。そこで一味同心となる。一味同心は起請文を書く。これは仏教の仏は彼岸にいるものであり、仏でなく、神に誓うことになる。もっとも 神仏習合、本地垂迹説で仏教も神道に近づく。

一味神水は、起請文に署名し、血判を押す。それを神前で焼いて、その灰を一碗の水の中に入れて、回し飲み。それで身体に不調をきたすかを確認。無事なら潔白の証明になるし、緊張の一瞬。

一揆には、一揆を貫く平等性原理がある。会議の時に鼻をつまんでいつもと違う声をだす。参加者全員による多数決。大衆会議は参加者の平等性に工夫して、覆面もその一つである。

一揆の情報伝達は天狗廻状とも呼ばれる。高札もある。一揆の署名では、傘連判、車連判があるが、それは首謀者隠しではなく、署名の順番をわからなくする。次第不同・一揆の平等の精神である。

中世は契約社会でもある。村が年貢を納めるかぎり、庄園領主は村に口出ししない。百姓は年貢を払えば移動自由である。主従関係も同様で絶対服従はなく、御恩と奉公がセットである。上下の絶対関係はない。

古代と中世の違いの一つは嫡継承される「家」の成立があったことである。経営体としての家。なお、中世社会では長男でなくとも、嫡子として家を継ぐことができた。

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