「歴史と私」 伊藤隆著

副題に「史料と歩んだ歴史家の回想」とあるが、近現代史を研究してきた著者の回想録である。著者は若い時は東大に学び、歴史研究会に入り、一時共産党に入党する。その後は脱党して、左翼の人間から攻撃されながら近現代史の研究を今に至るまで続けている。
歴史学、特に近代史はマルクス主義的な史観が主流だったわけで、著者もこの呪縛から逃れるのに苦闘したことが書いてある。マルクス主義の一般法則の発展段階説と階級闘争論で日本の近代史を読み解こうとしていたわけだ。定義があいまいな日本ファシズム論などもあり、著者はこれに批判してきた。
こういう時代だったのだとの改めて思う。

著者は、各分野(政治家が多い)で活躍した人の日記・書簡などの資料を入手して、それを整理して論考を発表するという地道な作業を今でも続けている。
著者の著作の批判の中に、「これは研究ではない。講談だ」と批判する人がいたようだが「だいたい 本物の研究は面白いものであるはずなのです」と反論しているが、この通りだろう。

尾崎行雄は憲政の神様になっているが、著者に言わせると愛国的自由主義者となる。石橋湛山も「単純な平和論者ではありません。軍備を持たなければやっていけない」と言っている。と憎まれ口を叩いてきたと書く。

もちろん左翼だけでなく右翼から嫌がらせを受ける。著者は「右翼の連中は、自分の子分を怒鳴って相手を威嚇するものです」と言っているが、なるほどである。

オーラルヒストリーとして、各界の識者の話をインタビューで聞いて残していくような仕事をしている。その中で旧制高校と軍隊経験がある人とそうでない人は話の重みが違うとも書いている。基礎教養の差なのであろうか。
また旧内務省の出身者がいちばん優れた人材が多いと感じ、次いで外務省、大蔵省などと述べている。

オーラルヒストリーや、各人の日記という第一次資料が信頼できるかというと、それも違うわけだ。ある人物のオーラルヒストリーを読んだ人が「こんな一方的な話をして」と怒っている様子も書いてある。史料の信頼性の問題は難しい。著者も”結局、どのみち自慢話”とも書いている。

日本はこれだけの国を造ったわけであり、それらに携わった人の資料を残すのは大事との思いで著者は努力されているとのことだ。

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