「九州戦国史」 吉永正春著

ちょっと調べ物で読みはじめたのだが、なかなか面白く通読した。題名のとおりに九州の戦国時代の歴史、主として合戦の歴史を記述している。
薩摩については、はじめに島津家内の争いを書いているだけであり、日向のことは触れておらず、他は北部九州と大友氏の戦国史である。中国地方の大内氏は博多をめぐって九州に勢力を伸ばし、跡を継いだ毛利氏も北部九州で大友氏と争うわけだ。

博多は朝鮮、明国との貿易の窓口でもあり、多大な収益を上げることができる場所であり、この地の争奪戦と言っても過言ではない。

応永期の博多の豪商宗金のことが記されているが、対明貿易、対朝鮮の貿易で巨万の富を築いた商人である。応永27年から宝徳2年までの約30年間に対朝鮮貿易の記録が23回。遣明の船でも永享4年には日本側貿易団長という資格で参加している。宝徳年間の遣明船では日本刀が輸出品であり、1本800匁から一貫文の刀が、現地では5倍の5貫文で取引されたという。勘合貿易による輸出貿易高の大半は日本刀だったようだ。また一駄10貫文の銅が50貫文、明で一斤250文の唐糸を日本にもってくると20倍の5貫文になったという。儲かるわけだ。この富が大内氏の富裕の源であり、だから博多の地が大事だったわけだ。

九州には鎌倉時代に守護・地頭として東国の御家人が任命される。これらを「下り衆」あるいは「西遷御家人」という。大友、島津、武藤(少弐)、千葉、相良、渋谷、二階堂、伊東、門司、宇都宮などがそれにあたる。

大内氏は九州探題渋川氏の補佐ということで足がかりをつかみ、侵攻する。前述したように大内氏の財力は貿易で上げたものであり、博多の地の争奪戦に勝つことは大切なことであった。
これに対抗して少弐氏が大友氏と組んで戦う。少弐氏は何度か大内氏に敗れるが、その都度、復活して戦う。しかし、永禄2年に、少弐氏の有力家臣であった龍造寺氏が大内方につき、滅びる。龍造寺氏も、この間、少弐方によって川上・祇園原の戦いで手痛い目にもあっている。

肥後は相良(人吉)、阿蘇(阿蘇)、菊池(肥後北部、筑後)の豪族がおり、菊池氏は南朝の中心として南北朝時代に大いに栄えたが、室町時代には家運は衰える。応仁以降に内紛がおこり、結局は大友に滅ぼされる。

豊後の大友家も、内紛があるが、大友親治の代で内紛にけりをつけて、内政を充実する。大友義鑑、大友義隆と続く。天文3年に勢場ケ原合戦が大友と大内の間でおこる。大友本領に大内氏が侵入したが、両軍併せて640余名の戦死者を出すが、地の利のある大友が結果としては撃退する。
なお大友氏は、天文19年(1550)に二階崩れという内紛があって大友義鎮(宗麟)が家督を継ぐ。

室町時代はどこの家でも内紛があり、なかなかわかりにくい。この本は中国勢力の大内、毛利と大友、少弐の博多をめぐる覇権争いを中心に書いているが、九州の国人の動きも詳しい。例えば秋月、宗像、高橋、神代、筑紫、原田、千葉、立花、松浦、宇都宮、貫などだ。宇都宮氏は豊前の城井谷の領主だが、宇都宮氏という全国のネットワークを機能させたいたようで驚いた。





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