「「特攻」と日本人」 保阪正康 著

「特攻」がらみの本や手記は、いたたまれないような感じになり、意識して読んで来なかったが、久しぶりに手にする。
「特攻」とは、実施する人にとっては、罪も犯していないのに、死刑宣告されるようなものである。志願であったというのも詭弁であり、志願せざるを得ないような雰囲気を作り出していたわけだ。時代の不条理と片付けるには重たいし、日本人的な特性とされるにも違うと思う。自分が、その場面に居れば、どういう行動、選択をしたかとか、自分が特攻に向かう時は、どういう心境なのかなどと考えると、重たい気分になる。

指揮官たちが特攻兵を送り出す時に「我々も、すぐに諸君の跡を追って飛びたつ」と激励する。しかし、実際に跡を追う上官は少なく、「生きて祖国の再建に力を貸したい」となる。こういうのがやりきれない。有名な悪司令官として菅原道大中将がいる。マニラの死守を叫んでいながら自分は台湾に逃亡した富永恭次中将と同類だ。自決した大西瀧治郎中将、最後の特攻で一緒に突っ込んだ宇垣纏中将などは批判はあるものの、責任を取った将官である。

特攻は海軍、陸軍の兵学校、士官学校等で学んだ職業軍人よりも、学徒兵で即席の士官になったものの方が多く、特攻戦死者の70%くらいが、これらの兵との数字もあるようだ。職業軍人は、学歴だけで幹部に任官する学徒兵に嫉妬するためか、訓練と称して私的リンチのようなことをする。そして特攻志願に向ける。

特攻で死んだ者の中には、昭和天皇に、特攻が伝わり、天皇がこんな馬鹿なことをやめろというのを期待した向きもあったようだ。昭和天皇は、特攻に対しては、わざわざ起ち上がって敬礼して聞かれたようだが、「もうやめるべきでは」とはおっしゃらなかった。

東条英機首相は、途中から戦争を美学にしてしまい、戦争目的を忘れ「戦争とは意志と意志の戦いである。負けたと思った時が負け」という演説をしている。これは特攻の兵に限らず、日本人全てを死に追いやる演説である。また、東条は口では勝利、勝利と言っていたが、どういう状況が勝利なのかは言っていないし、イメージしてなかった。

新聞も、特攻兵を陸海の”神鷲””神兵””海鷲”とか持ち上げて、軍のお先棒を担いで誇大戦果を煽る。

日本は昭和17年6月のミッドウェイ海戦、8月から半年続いたガダルカナル攻防戦で陸上戦でも致命的な打撃を受ける。
これに先立つ昭和17年3月に、真珠湾の特殊潜航艇のことを「特別攻撃隊」として発表(これは生還も考えての特別攻撃)。そして戦死者は2階級特進とした。
昭和18年5月にアリューシャン列島アッツ島で山﨑部隊長以下2500人に”玉砕”と名付ける。
こうして、進んで死ぬことが賛美され、特攻受け入れの余地が作られる。

昭和18年11月頃に上層部から特別攻撃の案が出るが、この頃は否定されている。下士官の方からも人間魚雷などの提案も出てくる。

昭和19年には海軍軍令部は密かに呉に人間魚雷の試作を依頼。ただし、この段階では脱出装置をつけるとされていた。
日本陸軍は歩兵の肉弾突貫作戦を持っており、それを航空機にあてはめることは当然という感じもあった。

昭和19年6月にサイパン陥落。この頃から首脳は盛んに特殊兵器のことを言う。「回天」(人間魚雷)、桜花(爆弾付きグライダーみたいなもの)などのことである。

昭和19年6月頃に首脳部で特攻の話が出る。そして、昭和19年10月に台湾沖で有馬司令官が体当たり攻撃をする。これが特攻の第1号だったが、広く伝わらなかった。その理由は、49歳の有馬は「年齢が高く、相応のポストの者から死ぬべき」との考え方であり、この考えが広まると、当時の上層部が困るからというのだからあきれる(もちろん、指揮系統が壊滅すると戦争はできないとのもっともらしい論はある)。

そして昭和19年10月に大西瀧治郎中将が命令を下すが、当時の海軍軍令部(及川古志郎大将、伊藤整一中将、中沢佑少将)は了承していたはずだが、戦後は、大西一人に罪をかぶせている。中沢は戦後、「特攻は大西が始めた」と繰り返し述べる。航空作戦担当の源田実も関わっていたはずだが、源田も戦後、知らないと言い続ける。

陸軍も上層部は関与していた。特攻作戦に消極的な安田武雄を更迭し、東条英機のことを何でも受け入れる後宮淳を後任にして特攻を進める。航空総監は戦果が上がらないのは航空がだらしがないとの意見。そして菅原道大に圧力。菅原道大は「跡に続く」と送り出しながら「私には今後の後始末がある」として、富永恭次と同様に責任逃れをする。戦後、菅原は「陸軍では特攻はあくまで志願であった」と繰り返す。

アメリカは、特攻の増加に伴い「日本人はきわめて民度の低い、中世的な文化に没入している、非近代国家」とみなす。当初は特攻が効果を上げたが、直ぐに対策を取り、高射砲で弾幕を作り、「バカ・ボン」(馬鹿な爆弾)、「カミカゼ・クレイジー」と軽蔑してくる。あるいは「ゾンビ」、「2日酔い坊や」と蔑称する。もちろん、中には特攻の精神に対して畏敬の念を持つアメリカ軍人もいた。

そんなに死にたいなら「日本人は一人残らず殺すべき」というような論も出る。「日本を降伏させる」という目的から「日本人を殺すこと」になっていった面もあるようだ。


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