トルコ旅行④ーこの風土と文明の十字路の関係ー

トルコの地は、非常に古い歴史を持ち、世界史上、重要な民族の興亡があったところだ。東部には世界4大文明発祥地のチグリス・ユーフラテス川の上流も含まれている。東部にあるアララト山(5137㍍)がノアの箱船が着いた山という伝承もある。西部のエーゲ海沿いの町はトロイ、エフェスもそうだが、ギリシャ文明と同じ都市国家が散在している。内陸では重要な民族として鉄を初めて使ったヒッタイト王国が紀元前1800年頃に起こり、バビロン王国を制圧している。ヒッタイトが滅亡後にウラルトゥ王国、それからフリギア王国、その後紀元前650年頃に世界で初めて貨幣を造ったリディアという国もあった。

隣接する東西に強国が生まれると、そこからの侵略も受け、紀元前546年にリディアはペルシャに滅ぼされる。そのペルシャは紀元前334年にマケドニアのアレキサンダー大王に負ける。その後、ペルガモン王国が生まれ、後にローマ帝国に包含されて属州となる。それからササン朝ペルシャが侵攻したり、民族大移動の一環としてゴート人が侵入したりしている。

そしてローマ帝国が分割されて、東ローマ帝国がこの地に330年に建設される。この帝国は第4次十字軍に負けたことがあるが、1453年にコンスタンティノープルがオスマン・トルコに占領されるまで1000年以上続く。トルコ民族としては1038年にセルジューク・トルコが建国され、1308年まで続く。それからオスマン・トルコとなり、版図を広げながら第一次世界大戦まで続く。

このように人類史上に重要な民族の興亡があり、東西文明がぶつかった所である。東西はぶつかると同時にシルクロードで遠くは中国とも交流している。

東西文明の狭間であるのは地勢から理解できる。
イスタンブールで、ヨーロッパとアジアを分けるボスポラス海峡をヨーロッパ側から眺めるホテルに泊まり、たまたま6時半頃にアジア側からの日の出を拝み、感慨にふけった。
ボスポラス海峡のクルーズにおいても、2階のデッキでほとんど立ち詰めでアジアとヨーロッパを楽しんだ。この海峡は狭い所では600㍍くらいの幅。両岸に大砲を設置し、通過する船に通行料を要求すれば、払わざるを得ないだろう。
南北についても重要な場所だ。ボスポラス海峡を北に進めば黒海だ。今、ロシアがクリミアを併合して黒海艦隊の基地を確保しようとしているが、この海峡を押さえられたら、湖の軍事力で終わってしまう。
南のエジプト方面にヨーロッパから行くのも、海を渡れば別だが、陸から出向くとなると、トルコを通るのが一番早い。十字軍がエルサレムに行くのにも通ったわけだ。

問題は、この地が豊かな土地で、各民族の興亡が多く生じたような場所なのかという点である。
地中海沿岸地方や、エーゲ海沿岸地方や、黒海沿岸地方などは、住みやすそうな地域だろうなとは思うのだが、内陸部はバスで通った範囲では水が少ない地方特有の草原、木の無い山が続く地方であり、なんでこんなところで各種民族の興亡があったのかが今でもよくわからない。牧畜文化といえども、水は必要だろう。またヒッタイトのように鉄器を造ったのならば、なおのこと、鉄は炭(薪)での還元が必要となり、木が少ない地方では無理だと思う。

地図を見ると、内陸部には湖も多くあり、こういうところから水は得られるのかもしれない。ガイドが言うには雪解けの水で大麦、小麦を作っていたが、最近は温暖化で雪解け水が得られにくくなっているとのことだ。あるいは昔と気候が大きく変わってきているのだろうか。

トルコがチューリップやバラの原産国であるように、往古は森林も豊富な豊かな地域だったのかもしれない。それがヒッタイト王国が進めた鉄器製産の為に、還元用燃料として木々を伐採し、結果として、このような地帯になってしまったのではなかろうか。日本の中国山地は鉄製産で有名だが、製鉄業者は山を買い、木を伐りを繰り返す内に結果として多くの山を買うことになる。そして、30年経つと、日本のように雨の多い地域では山は再生ができたそうだ。

残っている文化遺産は、最後にこの地を治めたオスマン・トルコの文化的影響が強いが、この帝国は一時期、異教徒にも寛容だったから東ローマ帝国(=ビザンチン)の文化も色濃く残っている。さらに古代の文明も石造りであったために、遺跡では、その名残りも感じられる。重層的な文明の交差点とも言える。












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