「古代出雲を歩く」平野芳英 著

出雲風土記などを参考に、出雲地方を散策する人には興味深い本だと思うが、私は出雲に土地勘がまったくなく、読んでも頭に入らなかったというのが実情である。
興味深く読んだのは、「第6章 銅剣と銅鐸と谷神の地を歩く」であった。銅剣が4列、358本と銅鐸6個と銅矛16本も出土した荒神谷遺跡(出雲市斐川町町神庭西谷)のことである。
荒神谷遺跡は左右の低丘陵が谷奥に吸い込まれるように狭くなっており、さらに分岐した一つの谷奥の斜面にこれら青銅器が埋納されていた。この地形は古代中国の老子にある「谷神は死ぜず 是を玄牝という。玄牝の門、これを天地の根という」言い伝えに基づく立地ではないかと推察される。女性の生殖の門に喩えて、ものを生み出す地ということになる。小規模な農業を営むには良い場所となる。日が出ると、山陰となるところがない地形とのことだ。今の地名の西谷は斎谷、すなわち神を祝祭するという意味ではないかと書かれている。ここで何らかの祭祀が行われていたようだ。
なお、この銅剣358本の内、344本の茎(なかご)にはタガネで×印が印されている。これは国立博物館の展示で拝見したことがある。
隣町の雲南市(旧加茂町)の加茂岩倉遺跡からは全国最多の銅鐸39個が出土する。この内の14個の鈕(ちゅう)に部分にも×印がある。

加茂岩倉遺跡に入る場所に、大きな岩がある。これから岩倉の地名が付いたようだ。なお巨石を信仰の対象にしたような場所は立石(たていわ)、仏経山の伎比佐の大岩や松江市恵曇(えとも)神社の磐座、大崎川辺神社の大岩、出雲市の韓竈神社、御領神社、石上神社、大船山の烏帽子岩、佐太神社の母儀人基社など出雲全域に見られる。沖縄のウタキ(御嶽)と同様な古代信仰なのであろう。
出雲地方は地名が難しいというか古代語のようなものが多い。十六島(うつぷるい)湾や神名樋野(かむなびぬ)、意宇(おう)などである。

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