「富士山文化ーその信仰遺跡を歩く」竹谷靱負著

 著者は富士吉田口の御師の家系に生まれた理学博士であるが、富士山文化研究会の会長であり、多くの富士山関係の著作を上梓している。富士塚のことを調べているので読んだ。
 富士山がユネスコ世界文化遺産に登録されたが、構成要素として、山体、四本の登山道、八社の浅間神社、富士五湖、忍野八海、白糸の滝、人穴遺跡、二棟の御師住宅、二箇所の胎内樹型の洞窟などがあるが、文化遺産と言うと他にも幅広いものがあり、各地の富士信仰の証しの富士塚などもそうであると著者は述べる。

 江戸の人にとって富士山は身近なもの。富士山が見えるという富士見坂も多い。絵(浮世絵)にも北斎の富岳三十六景をはじめ、多く描かれている。
 富士塚は、その近隣の人々の富士山信仰(富士講)のよりどころとして、神社内などに造ったものであるが、関東を中心に200基以上あり、市区町村の有形民俗文化財・史跡に指定されているものだけで70ある。「江戸は広くて八百八町、江戸は多くて八百八講、お江戸にゃ旗本八万旗、お江戸にゃ講中八万人」という唄があったそうである。
 黒ボクと言われる富士山の溶岩塊で飾り、ジグザグの登山道を作り、一合目~九合目までの合目石(道標)も付けられる。人穴、浅間神社なども設けている。正月三日に「初富士」として遙拝し、夏には富士山に出かけた代参講員の家宅を守り、その帰着までは毎日灯明を欠かさず、彼らが地元に戻ると、「サカ迎え」といって赤丸提灯を持った町中の人が出迎える。旧暦6月1日の「お山開き」をし、7月21日、22日に「山じまい」にも火祭でにぎわう。
 
 江戸っ子は銭湯にも富士山の絵を描いたとあるが、確かにそうである。

 そして、この本では、今も残る各地の富士塚を案内している。また富士塚を7箇所巡る「七富士巡り」もあった。講紋が違うと、別派だが、互いに協力することもあったというわけである。

 富士山周辺の遙拝所の案内や各地の浅間神社の案内もある。また登拝道はいくつかあり、世界遺産に登録されているものは、大宮・村山口登拝道、吉田口登拝道、須山口登拝道、須走口登拝道である。他にも精進口、船津口、上井出口、明見口などがあった。今は五合目までの道路で車で上がれるので各登拝道の五合目までは廃道になる。

 江戸末期は富士山、高尾山、大山の三山を参拝することも「三山詣」として流行る。

 富士山登拝後の帰路は砂走りとして、厚い火山灰の上を滑るように直走るのが定番だったが、今は危険であり、一部が残っているだけである。

 富士山内のお中道巡り、お鉢巡りのルートについても説明されている。

 また、富士山内の遺跡として洞窟や金明水、銀明水(雪溶け水がでる)や、御師の住宅を紹介している。
 人穴、白糸の滝、お胎内(洞窟)や富士八海についても紹介している。これには外八海と内八海があり、外八海は日本全体の有名な湖沼(琵琶湖、浜名湖など)である。内八海は、富士五湖以外は、明見湖(富士吉田市)、泉瑞(富士吉田市)、四尾連湖(市川三郷町)だった。

 なお、男衆は富士山に登拝(とはい)できたが、女人禁制であった。

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