「戦国時代は何を残したか」笹本正治 著

 この本は、現代では戦国時代の武将などに脚光があたっている歴史になっているが、この時代に生きた民衆、敗者などにも目を向けるべきだとして書かれた本で、私も共感する。
 若い女性が戦国武将を好きだとか言うが、織田信長をはじめ各武将の残虐性とか、秀吉、伊達政宗などの色好みの状況などをどれだけ知っているのかと疑わしくなる。

 この本では、戦国時代を経て、社会はどう変化したかを次の5章に分けて述べている。「1.モノとしての民衆」「2.戦乱からどう身を守るか」「3.神仏との深い結びつき」「4.自然への畏怖の変化」「終章.現代に続く戦国時代の課題」である。

 「1.モノとしての民衆」では川中島の戦いを例に『甲陽軍鑑』の記述内容の疑問を書いている。鶴翼の陣とか車掛りの陣などは日常的訓練をしていない軍勢で、しかもそれぞれの独立性の強い家臣団が実現できるはずはないと書く。義の人、上杉謙信が例えば仁田山城攻め(桐生市)では城に籠もるを一人残らず、男女ともになで斬りにしている。そして戦国時代は勝った方は物の略奪だけでなく、人を生け捕りにして、商品として売りさばき、奴隷としていたことを各種資料から明らかにしている。著者のフィールドの信濃、甲斐の史料を豊富に出して例証している。通常時に人を誘拐して売ることは犯罪であったが、戦争では人狩りが日常であった。日常でも「辻取」として路上で女性を捕らえて妻などにすることがあったようである。このような状況の一方で、西洋の宣教師は日本では娘たちが両親と相談することなく一人で行きたいところにいくとか、妻は夫の許可なしに家から外出することを記している。安全な国でもあったわけである。もちろん奴隷となった者は海外にも売られたわけである。逆に倭寇がさらってきた中国人なども奴隷として日本にいたわけである。
 戦国大名は自分の領国内の平和の維持の為に、人身売買を規制する方向であった。秀吉は検地で土地の生産量を確定し、年貢を取っていたので、耕す人が必要であったこともあり、人身売買を禁止した。一方で、自分が生き延びる為、あるいは父母の暮らしを守る為に、自らを売るような行為も存在していた。

「2.戦乱からどう身を守るか」では避難先としての山に逃げた資料を多く示している。自らも武装して戦う民衆の姿も記されている。領主の城に籠もることも行われた。強豪武将に挟まれた土地の住民は、それぞれの側に年貢を貢ぐ「半手」「半納」という制度もあった。信長は伊賀や長島の一揆では虐殺をしているし、徳川期の島原の乱時でも一揆勢を裏切って通報していた絵師を除いて皆殺しされる。寺に逃げ込むことも多かったが、信長は寺のアジールとしての役割を無視して恵林寺を焼いている。

「3.神仏との深い結びつき」では神仏は一緒に戦ってくれる存在であったことを記している。夢を大事にした人々もいたが、武田信玄などは夢卜いとか神仏を自分に都合の良いように利用している。裁判などでは神仏の力を借りての起請が行われた。熱湯に手を入れて火傷しなかった方が正しいなどの湯起請があった。古代の銅鐸もそうだが、金属の音に神の降臨を信じたこともあった。村の入口に神仏を置いて結界とすることもあった。

「4.自然への畏怖の変化」は自然災害が多かった時代であり、その予兆に対する関心は高い。凶作時には蕨の根などを食糧にする知恵も生まれる。自然を克服しようとする戦国武将の施策(信玄堤)なども生まれる。諸国を渡り歩く職人は戦国武将の枠を超えた朝廷の庇護などをもとめ、鋳物師と公家の真継家、木地師は白川神祇伯家、吉田神道家などの結びつきが出来てくる。鉱山開発、新田開発が進むと、大地の改変に祟りを観じなくなる。神仏への畏れがなくなっていった時代である。

「終章.現代に続く戦国時代の課題」では史料が残るのは、その史料を持ち伝えることが、個人あるいは家にとって利益があるからである。日常生活の史料は残りにくいとして、史料一辺倒の歴史解釈に警鐘を鳴らし、今の世の中に潜む地球温暖化や食糧問題、そして戦争の危険などに言及している。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 1

なるほど(納得、参考になった、ヘー)

この記事へのコメント