[「本阿弥行状記」(和田宗春 訳註)

 本阿弥光悦が書いたものとして、この原本はこれまでは上巻だけが訳されていた。それは中巻の冒頭に、この中巻は光悦、光甫が書き残した反故の中から取りだしたとあったので訳されてこなかったわけである。訳註の著者は、中巻も下巻も訳してはじめて同書の意義(本阿弥家の家録、家記)があると考え、通しで訳されたと記してある。本文の意味が通りにくい箇所もあるが、これは原文がそうなのであろう。また註も丁寧であるが、ちょっと違うのかなと感じるものもあるが、労作である。

 江戸初期の本阿弥光悦の話から、江戸中期の吉宗時代の話まである。光悦の芸術論でもなく、家業の刀剣鑑定のことが多く記されているものでもない。
 印象に残るのは、本阿弥の女性の偉さを書いていることである。光悦の母の妙秀(光二の妻)は信長にも夫の光二の無罪を訴えたり、人を斬って逃げ込んだ者を匿ったり、子供の良い所を褒めて伸ばしたり、一方で厳しく躾けをし、吝嗇なところは少しもなく、義理堅く、慈悲に富んでいたことなどの逸話を載せている。また宗教心(本阿弥家は日蓮宗の熱心な信者だが、仏教一般を敬う)と道徳心(親に孝行、主君に忠、人に慈悲を持って接しろ、悪いことに手を染めるななど)と勤労精神(骨惜しみせずに働く)を基本の教えとして一族に説いた人物である。
 光悦の姉の妙山は光徳に嫁ぎ、光室を生む。柔和で知恵があって賢い人でさっぱりとした律儀であったと記している。穏やかな人だったようだ。

 この本は子孫に読ませることを意識していたようで、分に応じた生き方を説き、徳川家に忠誠のスタンスだが、時の京都所司代を通じて幕政に提言したことなども書かれている。織田信長、豊臣秀吉のことは批判的である。
 当時の文人(茶人、和歌、連歌、書、陶芸)との交流も書いてある。家業の刀剣鑑定のことはそれほど多くないが、興味深い話もある。光瑳は光悦の実子ではなく、片岡次大夫の曾孫だが、書道の名手。この子が光甫。
 光室は光徳に劣らない刀剣鑑定の名手で徳川秀忠に刀剣鑑定を教授。また情に厚い人物の弟の光益は正直者で織田有楽の弟子で茶道を嗜む。第59段に本阿弥光二は鞘、柄も制作して上手だった。また金具も造ることも記されている。
 具体的な刀工名では一条国廣のことが新刀では興味深い。古刀では名物の刀が時々出てくる。
 また第27段には、丹波、丹後などで山の木を伐り、田畑を作ると、山崩れや水害が起きることまで書いており、当時から、このような知識が広まっていたことが理解できる。
光悦は諂うことが嫌いな人だったとも書いている。光悦が鷹峯に領地(東西200間、南北7町)を貰う経緯が第52段に記されている。
(以下のリンクは別の本である)

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 1

なるほど(納得、参考になった、ヘー)

この記事へのコメント