「司馬遼太郎全集21 義経」司馬遼太郎著

 義経の生涯を、幼時から頼朝から追われる身になって京都から九州に向かうところ(結局は九州に行くことができないのだが)まで書いて終えている。さすがに司馬遼太郎であり、よく知られた話を面白く小説にしている。
 各登場人物の性格を、裏付けるエピソードに基づいて明確に書いて、物語の伏線にして厚みを出している。後白河法皇の権謀好きで変な好奇心(今様好き、隠れて各種見物に出向くこと)、新宮十郎行家の軍事はダメだが生き残る為の政治的な権謀術数能力、義経の軍事の天才ぶりと親族・肉親を信じ・甘える心情と、人間社会で生きていく上での政治的力学把握能力の欠如、好色ぶりなどである。平家の頭領行盛については臆病な性格を出自に遡って書いている。
 そして頼朝については、境遇から性格形成に至ったことを書く。伊豆での流人としての暮らし、そこで伊豆の豪族の娘と関係を持ち、北条政子の婿となるが、政子を恐れる様子を書き、そして頼朝の基盤は、朝廷の収奪に不満を持つ関東の豪族にあり、彼等の意向を常に意識せざること、東国では女性の地位が京都よりも高かったことを示している。
 また頼朝は流人の間、京都の公家から京都情勢の連絡を受けていたこと、大江弘元や京都の政治を知る人物の助言を常に受けていたことが、鎌倉幕府成立の大きな礎になったことも理解できる。

 東国武士の心情もよくわかる。土地を大事にし、それを一族とともに広げ、その権益を守ることに専念する。戦いは土地争いに起因し、土地を主体とする恩賞(権益の確保)をもらう為でもあるわけだ。義経のように大将が先頭に立って戦ってもらっては恩賞の機会も減るし、船の水夫などを射るのは恩賞にもつながらず、むしろ卑怯という悪名になるわけだ。後に義経を追討する時、御家人を募るが、義経の武威を恐れ、誰も手を挙げない。自分の得にならないことは頼朝の命にも服さないのだ。そこで土佐房という者が出向き、返り討ちにあう。
 東国の武士にとっては、義経には土地に根ざした郎党がいないことも、軽んじた一因である。また自分の土地権益を守ってくれるのが頼朝であり、義経は弟と言っても、御家人と同じ立場というわけだ。
 義経が兄の誤解を解くために、戦いでの自分の功績を頼朝に伝えれば伝えるほど、自分達の功績を無視する義経に反感を抱くわけだ。

 また当時、平家の拠点の西国は飢饉だったことを記して、平家方には兵が集まらず、士気が低いまま富士川に出陣して逃げ帰る伏線を書いている。
 木曽義仲の田舎者の行動が京で反感を持たれ、義仲傘下の軍勢も寄せ集めで、京都で略奪を終えると、郷里に帰ってしまうような状況もなるほどと思わせる。
 義経の軍事上の天才ぶりの記述も冴えている。鵯越の戦いでは、平家は六甲山地の下に海岸沿いに陣をひいていて、京都側の平地に兵を厚くしていたわけだが、山から平家の本陣にたった数十騎だが突入して、火をかけたから、驚いて本陣が崩れ、海に逃げた為に総崩れになる。
屋島では平家が想定していた海からの攻撃ではなく、阿波の方に上陸して騎馬で攻めた為に、平家が海上に逃げて、結果として敗戦になる。
壇ノ浦の戦いは海流の流れが時間で変わることで、それを利用したことが知られているが、当初に押されていた時に船が苦手な東軍は陸沿いに船で逃げ、その陸に弓射隊を配置していたのが功を奏したわけだ。また水夫を狙って射る禁じ手も有効だった。

 源氏は伝統的に親族の仲が悪く、これが平家との違いと書いているが、この傾向は後の鎌倉幕府の北条政権でも引き継がれる。鎌倉幕府の権力闘争も陰惨なイメージがつきまとう。

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