「司馬遼太郎全集20 鬼謀の人」司馬遼太郎著

 大村益次郎(村田蔵六)の話である。長州の鋳銭村(すせんじ:今の山口市)の村医の出で、緒方洪庵の塾に学ぶ。そこで塾長までになったが27歳時に祖父の言いつけで村に戻り医者となる。塾の頃から医学だけでなく西洋の軍学の書を読んでいた。
 蔵六は合理的な発想に終始したから愛想も言えず、医者としては流行らなかった。この性癖は生涯続き、反感も持たれる。また当時の長州藩は当然に蔵六の存在を無視していた。

 宇和島藩が密かに匿っていた髙野長英の後継者として緒方洪庵の推薦で村田蔵六を傭う。洋書の翻訳を頼み、上士格で百石で召し抱える。その後、幕府の蕃書調所の教授方手伝い、また加賀藩からもお手当を得ていた。また幕府の講武所の砲術部門の教授も兼ねる。
 物語では、桂小五郎が有備館御用掛を命じられた時に軍制を洋式化するために、蘭語を読める人物を探していた時に蔵六の名前を聞いたことにしている。そして桂が吉田松陰の回向で寺に来た時に、僧から近くの寺で女囚の解剖があり、その解剖をするのが蘭医の村田蔵六と知る。後に桂は松蔭が引き合わせてくれたと述べる。

 桂も医師の出身であり、見学に行く。解剖後に蔵六に挨拶をし、後日に伺う段取りをつける。事前に伊藤俊輔に調べさせると、実は以前に、竹島を早く長州が押さえることが国際法上で大切と桂の元を上申してきたことがあったことを知る。
 藩内では急な登用は難しいから、桂は軍書の翻訳の依頼という形にして雇い入れる。曲折の後に先手組の上士として藩校で兵学、海軍術、砲術の教授とした。大村は原典ではなく、自分の翻訳書で教える速成法とした。

その後、長州は4カ国艦隊の砲撃を受ける。この時は何の関与もしていない。40歳の時である。
 幕府の第2次長州征伐時に、潜伏先から戻った桂が村田蔵六を用いることを進言する。幕府の扶持をもらっていたから名を大村益次郎に変える。そして石州口の参謀として実戦に出向く。そこで逸話を残しながら勝利に導く。益次郎は戦闘の前日には石盤を抱えて自分で偵察に行く。そして明日の作戦を予想し、指示するスタイルだった。

 彰義隊討伐の時、江戸の官軍は兵力が少ないこと、江戸を焼いて反感を買うのではと懸念して攻撃しない。益次郎が京都から出向き、攻撃の手はずを整え、上野の山だけの戦闘範囲で一日で終わらす。この時、薩摩軍を最前線に配置したり、ぶっきらぼうな物の言い方で薩摩の海江田武次などの反感を買う。海江田は後に大村暗殺の黒幕と言われる。
 東北戦線からの援軍要請の大半も大村が握りつぶし、ここでも反感を買う。大村益次郎は維新後の敵は薩摩になるだろうとして備えをしていた。
 明治2年9月に京の旅館で12人の国粋攘夷主義者に襲われ、その時の傷が元で11月に死去。
 彗星のように必要な時に現れて、仕事をして、去って行った生涯である。読んでいても不思議な感じがする一生である。後に長編小説「花神」が大村益次郎を主人公とする。