「司馬遼太郎全集20 最期の将軍」司馬遼太郎著

 徳川慶喜の話である。慶喜は水戸の徳川斉昭と、正室の有栖川宮家の登美宮吉子との間で3男として生まれる。ちなみに徳川斉昭は藩政改革で業績を上げたが、優れているだけに独断的で、女色に卑しく、この面でも大奥から嫌われた。
 慶喜は少年時代は七郎麿と呼ばれ、武芸に熱心だったが読書はきらいであり、斉昭から座敷牢に入れられたこともある。少年時代から軽躁で遊びに狡猾さがあり可愛気がなかったようだ。これは後の慶喜の生涯にも共通する。11歳の時に一橋家から養子を望まれた。老中阿部正弘が慶喜を将軍にしたがっているとの腹を読んでの持ちかけたもので、斉昭は承諾する。

 優秀で弁も立ち、相手のほとんどが言い負かされる。何でも自分でやって、できてしまうような才人である。斉昭の血を引いて、女好きであり、京都時代は新門辰五郎の娘を愛妾にした。その縁で辰五郎の配下が家来になる。また一橋家は御三卿の家柄であり、生粋の家来がいない。渋沢栄一などを後に家来とする。

 思想としての水戸学の尊皇があり、朝敵になることを恐れる。これが行動の根本にある。そして「貴人に情無し」の言葉があるが、周りは自分に奉仕する者という意識で、家来への情は欠落している。大坂城から脱出する時に「自分には策がある」とか言って側近をだましたりしても平気である。少年時代からの軽躁で、遊びに狡猾さがあり、可愛気がないという性格が続いている。

 慶喜は自分の考え・行動を状況に応じて変え、他人からはその政治的活動が複雑で理解し難いから、慶喜が変節したのは側近が悪いのだと誤解され、腹心の用人の中根長十郎、平岡円四郎、原市之進が暗殺されている。絶対に主君にしたくない人物である。
 司馬遼太郎はコロコロ変わる慶喜の心情、行動を丹念にたどって歴史小説にしており、慶喜が大政奉還をしたのも必然と思わせるように書いているのはさずがである。ただし、司馬遼太郎自身が好きな人物ではない筆使いである。

 慶喜に対して、同情する点は一橋家という家来もあまりいない家を立脚点にしていたこと、江戸城内の大奥や、幕府閣僚、旗本も、親の水戸の斉昭への反発が根強かったこと、もちろん慶喜の変節極まりない行動、考え方も反発を受けたこと、もちろん京都での薩長主導の政界からの警戒、また当初は味方だった四賢侯にも理解されなくなったこと、そして欧米列強がやってきたという時世という大きな波である。こういう中での立ち居振る舞いであり、活躍にも限界があったことだろう。