「司馬遼太郎全集19、20 峠」司馬遼太郎著

 いい小説である。私は司馬遼太郎の小説の中で一番好きである。幕末に越後長岡藩士として誕生した河井継之助の物語である。
 継之助の家は勘定奉行や新潟奉行などを務めたことがある上士で百二十石程度の家系である。代々の役職柄で、金銭の蓄えのある家で裕福であった。この冨が全国を遊学し、同時に芸者遊び、吉原での遊びも好きな人物像を作り上げる。

 長岡藩牧野家では当時では珍しく朱子学ではなく、陽明学が学ばれていたそうである。ただ「知識は知ることだけでなく実行が伴わなければダメ」くらいの教えだったと考えられるが、継之助は陽明学に傾倒していく。その考えが表出した為か、継之助は武術でも基本の役割さえ学べば、それ以上に精緻に極めるということはしない人物として描かれている。この小説では陽明学のこともわかりやすく紹介している。

 また当時は学問を修めた人物に会って啓発されることが大事であり、継之助は諸国に出向く。前半の継之助の廻国修業中の話として大垣藩の小原徹心、伊勢藤堂藩の齋藤拙堂、土井聱牙(ごうが)などの学問もあって施政にも携わった人物を河井が訪れる場面があり、彼等の業績も紹介されている。廻国修業の中で前記のような人物の元を訪問したことは歴史小説的だが、時代小説らしく読者を楽しませる箇所、例えば本願寺縁戚の娘で情交を交わすところや、吉原の大夫と遊ぶところなども織り込んでいる。最も吉原での遊びの中で、当時の吉原の仕組みなどを詳しく語るところは司馬遼太郎らしい。また道中で長州の吉田俊麿と同行させて長州藩の成り立ちなども書くところもある。そして幕藩体制である封建制度のことや、佐幕勤皇の動きに合わせて、日本における天皇制のことなどに対する司馬遼太郎の学識も折り折りに披露している。

廻国修業の最期に生涯の師となる備中松山藩の山田方谷に出会う。彼は学者であるが同時に政治家であり、大きな影響を受ける。
継之助は大政奉還時に長岡藩として藩主も含めて大坂に出向いているのだが、大政奉還時の幕閣の狼狽する様子や大坂城内の混乱振りを詳細に書いている。それは時の老中板倉勝静が山田方谷の抱え主であったことなどから、老中に継之助が自由に会えて情勢を語らしたりできるように小説をうまく構成している。
 このような小説づくりの巧みさは、継之助と幕府外国方の福地源一郎(桜痴)が懇意であったことなどでも発揮されており、福地の言を通して、維新時の幕府内の混乱、旗本・御家人の腰抜けぶりなども生き生きと描いている。
また福地を通して横浜の外国人街に出向き、スイス人商人との交流や、武器商人スネルと交流する様子を描いていく。スイス人との交流は継之助が長岡藩を武装中立という立場を目指した遠因になっているようだ。またスネルは商人の博奕的感覚もあったと思われるが、長岡藩の武器の近代化に大きく寄与している。機関銃であるガットリング砲を2挺も購入したのは、この人物とのつながりによる。長岡戦争時にはスネルを通して藩主をヨーロッパに亡命させることも手配している。武器の購入にあたっての資金は、慣例であった賄賂などの政治を正したりして藩庫を豊かにしたことや、江戸屋敷の什器・重宝を売却したりで調達しているが、当時の越後平野の豊かさもあったのだろう。
 福地源一郎から、同様に技能(外国語)によって幕府に抱えられた福澤諭吉と知り合う設定にしており、ここで福澤の思想を紹介している。

 江戸から長岡に外国の武器商人スネルの船でかえる時に桑名藩(柏崎に藩領をもらい移封)の殿様や立見尚文(後に日露戦争で活躍)と会話したりと興味深い。

 複雑で難しい時世の中で、長岡藩の筆頭家老(執政)になった河井継之助は困難な藩の舵取りを迫られる。武装中立と言っても7万石余の小大名であり、どうしても時世の大波に押し流されていく。越後諸藩も薩長軍(西軍)への軍用金の提出と兵の派遣を要請され、拒めなくなってくる。
 西軍の陣地で最期の談判に出向いた時、越後に来ていた会津軍は談判を妨害する目的で、近隣で西軍と争う。その中で長岡藩の軍旗を遺して退却するようなことも行い、時の西軍の軍監である岩村は河井との談判を拒絶する。
 万策尽きた継之助は、河井の政策に反対していた藩士の元に出向き、自分(河井)の首を差し出して、軍用金を提出して、会津攻めに加わるか、西軍に反抗して会津と一緒に戦うかの2者選択となったことを伝える。これには継之助の反対者も一緒に戦うことを賛成して長岡戦争に至る。
 武装中立を志向していたので、それまでは会津軍なども自藩領に入れず、榎峠などの要衝も西軍が占拠するに任せていた為に、苦戦を強いられるが、近代的な軍装備も相俟って、よく戦い、西軍に多大の損害を与える。
 城を奪われたが、泥濘んだ地帯を渡るという奇襲で奪い返すこともする。しかし、いかんせん小藩の長岡藩士は1200~1300名程度の兵力である。蒸気船で柏崎や新潟に送られてくる新手の西軍や、寝返って攻めてくる近隣諸藩の多勢には抗することは無理である。この過程で長州の山県、薩摩の黒田など西軍側の将帥のことも触れられている

 戦いの途中で継之助は砲撃に当り、深手を負い、その傷が元で会津への街道の途中で死去する。河井家の従僕として松蔵という忠義溢れる魅力的な人物も登場するが、松蔵に命じて棺桶を作らせ、自分の遺体を焼く薪を積ませて死去する。
 なお、河井には子がいなく、妻は長岡の狭い世界だけに生きるような女性としているが、継之助との細やかな愛情を育んだ武家の女性として描いている。
 河井継之助の風貌、気概、考え方がわかりやすく、また魅力的に書かれている小説であり、読了するのが惜しい感じとなった。


「小菅優&新日本フィルハーモニー交響楽団」於すみだトリフォニーホール

昨夜、標記の演奏会に妻と出向く。緊急事態宣言発出前だが、中止の連絡がいつ入るかと思っていたが、無事に開催された。
観客の座っている席は結構な間隔であり、そういう配慮はされている。

ベートーヴェン生誕250周年に関する催事の一環で、演目は「劇音楽エグモント序曲」「ピアノ協奏曲第1番 ハ長調」「ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 皇帝」の3曲である。
「劇音楽エグモント序曲」はオーケストラだけの演奏で、指揮は角田鋼亮である。劇音楽だけあって曲調の変化を伴いながらもダイナミックな曲で、オーケストラも力一杯の演奏も見せて、楽しい。序曲がこれだと、本篇への期待がいやがうえにも高まるだろう。

次からピアノが入る。ピアニストの小菅優さんははじめて知るが、ドイツで長く暮らし、ヨーロッパ各地の交響楽団と共演し、特にベートーヴェンの曲に思い入れがあると解説に記してある。
弱い打鍵でも音がクリアであり、また物凄く早い打鍵の場面でも一音一音が明確で見事な演奏だった。

ベートーヴェンが偉大なのは私が今更言うまでもないが、聴いていると、音楽に安らかさとか穏やかさを表現するにしても、その前に心を大きく波立たせるようなダイナミックなメロディ・音が入る。この後に安らぎが来るような音楽である。私のような人間には心が震えるような演奏が強く印象に残る。「ピアノ協奏曲第1番 ハ長調」では第1楽章、「ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 皇帝」でも第1楽章と、第3楽章の印象が強く残る。

音楽が教会で神に捧げる荘厳なものや、バックミュージック的に、食事、舞踏の場に流れていれば心地良いととらえていた当時の貴族には、音楽が主役となって心を騒がすようなベートーヴェンの曲は新鮮と同時に違和感を持ったことだろうと改めて思う。その曲、その演奏の為に音楽会に聴きに行くようにさせたのがベートーヴェンなのだろう。

ピアノの独奏の場面、ピアノが先導してオーケストラの演奏を引っ張る場面、逆にオーケストラの音に乗って、ピアノが入り込んでいく場面など、小菅さんと角田さんのオーケストラは一体となって楽しかった。

なお、この演奏はGO TOイベントの対象で、入場料が安くなっている。私はGo Toの特典を使ったことはなかったが、この演奏会ではじめて恩恵を受けた。

「司馬遼太郎全集18 戦雲の夢」司馬遼太郎著

長宗我部元親の息子の長宗我部盛親の物語である。私の好きな小説である。元親は晩年に嫡子信親を島津との戸次川の戦いで亡くした後は気力が衰え、秀吉亡き後を探る政局にも無関心となって秀吉没後に死ぬ。
元親には二男、三男がいたが、末子の盛親が跡をとるように元親生前に定める。次男は病死したが、三男は津野家に入り津野孫次郎親忠となる。盛親を家老の久武内蔵助が推しているが、権勢を強める久武に対して、国元では反感を持つ武士が多く、彼は津野孫次郎をもり立てようとする動きを強める。津野は藤堂高虎と関係があったとされ、関ヶ原後に何者かによって殺される。当然、盛親に関係のある者の殺害と予想されたこともあって、関ヶ原後の処分が厳しくなったと言う。

司馬遼太郎は盛親を欲の少ない男として描く。一騎駆けの武者として才能に溢れているが、戦国大名的な欲が薄い人物として描く。それが女性との接し方にも現れるとして、そのあたりを小説的に書いている。それら女性の中では、弥次兵衛の妹の田鶴、晩年に京都の具足師の娘の里が主な女性であり、他の公家娘とか京都所司代の隠密でもあった女などは小説の点景である。

徳川と石田の争い時においては、国元で東軍に参戦すると決めて、徳川家に使者を出すが、その使者が途中で西軍方の陣を抜けられずに戻ってきて、仕方無く西軍に付く。この時、山内家の使者は山伏に変装して、無事に東軍方へ妻女の手紙とともに届けられる。使者の首尾で、土佐を失った者と土佐を得た者の差が書かれていて興味深い。

西軍として参陣するが、西軍諸将の動向に失望する。そして伏見城の戦いに参戦して功を上げるが、関ヶ原の戦いでは毛利軍の近くで、戦場を傍観していただけで敗軍となって落ちのびる。
戦後、井伊家を通して詫びを入れるが、前述した津野孫次郎を殺害事件などで、心証を悪くして、改易となって死は免れるが京都所司代の監視の下で寺子屋の師匠として大岩祐夢と改名して過ごす。
この間に、自分の夢、男と生まれたからの生きがいが具体化してくる。

なお、盛親の行動の近くに、司馬遼太郎の小説らしく伊賀者の雲兵衛という者を登場させ、司馬遼太郎らしい筋を展開しやすくしている。また盛親の気が付かない夢を女遊びを教えて蕩けさせて、別の意味で市井に平穏に暮らす道に導こうとする本願寺坊主を登場させて、小説に厚みを持たしている。

盛親には幼き頃から一緒に過ごした家老の息子の桑名弥次兵衛がおり、この交流も物語に深みを添える。盛親との交流を通して、盛親の人柄、境遇などを生き生きと描写するのに活用している。大坂夏の陣で盛親の長宗我部軍と桑名弥次兵衛が属する藤堂軍が戦い、弥次兵衛が戦死する。

男の夢は事の成否は問わず、やりたいことを見つけ、それを実現すべく行動することと、長宗我部盛親の物語を通して書いている。