「本当はブラックな江戸時代」永井義男著

表題や装幀は軽い感じの本であるが、中味はしっかりした本である。江戸時代をリサイクル社会だったとか、治安が良かったとかと賛美する風潮もあるが、やはり前近代であり、色々と問題があったと指摘している。
確かに私の世代は汲み取り式便所を知っていて、その悪臭を知っているが、今の人には想像もつかないのかもしれない。
まず、江戸時代の商家への就職と労働に関して、庶民は11、12歳で奉公に出る。商家の丁稚小僧や職人の徒弟になり、女子は武家屋敷や商家の女中や下女になる。すべて住み込みで、三食は出るが粗末なもの(これはどこでも同じようなものだが)、雑魚寝で小遣い程度の給与、年季(契約期間)は10年が普通。休みは年に2回だけで1月16日前後の藪入りと7月16日前後の宿下がりだけである。大店でも故郷に帰れるのは9年目でこれを初登り(50日間)と言い、この後に手代となる。次は16年目の「中登り」、次ぎは22年目の「三度登り」である。
だから結婚は故郷に戻ってとなると40代。それまでは女郎屋で遊ぶだけ。

女性は親に売られて女郎になる者も多い。年季を決め、給金は前渡しで親がもらう。だから妓楼からは給料は出ない。
親に孝は絶対であり、親に逆らえない。同様に主人に忠も絶対であり、親殺し、主殺しは厳罰となる。

江戸は南北奉行所に与力25人、同心120人がいたが、実際に市中を巡回の定町廻り同心や臨時廻り同心は両町奉行合計で24人。だから自分たちで始末が必要で、実際は町で取り押さえ、自身番に捕らえおき、同心が来た時に引き渡す。それまでの食事、用便にも付き添う必要があり、内済(示談…金を使ってのもみ消し)で済ますことが多かった。

武士は暴漢に出会ったら、「自分は君に仕えているから、無名の狼藉者を相手にしては君の忠ができない」という理屈で避ける。

刑罰は死刑が中心だから、内済で済ますようになる。10両盗めば死刑だから9両3分としたり、妻が密通したら、妻と間男は共に死罪。だけど子がいれば可哀想だから、妻は離縁、間男は暇を出して密通がなかったことにする。
もちろん、身分によって刑罰に不公平があり、拷問は当たり前だった。

江戸の水を飲めば下痢は当然となる。また旬の食材しか食べるものがないのが実態。冷凍庫、冷蔵庫はないのだから。庶民の食事は、朝が味噌汁だけ、昼はおかずが一品、夕食は香のもので茶漬けというのが実態。
下の処理は肥だめにこえ桶。不潔で臭い。人間は生活の臭いには慣れる。

風呂など20日に1回とか6日に1回。

人情社会でもなく、見て見ぬふりをする。人を救う余裕はない。子どもの虐待も多かった。子どもを貰い、礼金を受け取る。子どもを殺す。また別のところから子どもを貰い、殺すとして稼ぐ。

伝染病も多く、すぐにかかり死んだ。

武士は軟弱。仇討ちも刀を持っていない者を3人かかりで嬲り殺すようなことが実態だった。
また身体障害者など社会的弱者に残酷(軽侮、罵倒、嘲笑の対象となる)な社会であった。

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