「司馬遼太郎全集14、15 関ヶ原」司馬遼太郎 著

 以前に読んだ時は非常に面白いと感じたが、今回の再読では、それほどとは思わなかった。以前の読書での知識が、新鮮さを奪っているのかもしれない。あるいは他の資料で関ヶ原の戦いのことを何度も目にしているからなのだろうか。
 天下分け目の関ヶ原の戦いと言っても「戦争は政治・外交の一手段」だから、戦いそのものよりも、戦いに至るまでの、それぞれの参戦者の政治・外交で帰趨が決まるわけである。司馬遼太郎もそこに力を入れて書いている。この戦いでの政治・外交でのポイントは義ではなく、利・欲であることも書いている。まさに義の石田の敗北である。なお義が敗れた背景として、秀吉晩年の外征などで国民を苦しめた政治との訣別という点にも視点を置いている。
 それぞれの武将の私怨、恩義、自家にとっての損得勘定、戦いの大義名分とそれを受け止める各人ごとの解釈などが綾なす人間模様となって小説は進む。
 はじめに、石田三成の人柄、その家老の島左近のことが出てくる。東軍では家康の人柄、謀将の本多正信の考え方などの著述が続く。三成の側室となる初芽という女性を小説らしく登場させる。
 三成の鋭利過ぎて人に嫌われる横柄な性格を書き、秀吉子飼いの武闘派諸将(福島正則、加藤清正、黒田長政、細川忠興、浅野長政など)との確執、特に朝鮮の役での秀吉への報告の件でのトラブルなどが起因になっていることを書く。
 家康が勝手に大名間の婚姻などを決め、それを弾劾する動き、そこにおける前田利家の重みと、その死。それからの家康暗殺の動き、三成殺害の動きと、三成は家康邸に逃げ込んで佐和山に退隠する。次ぎに家康側が前田家に難題を持ちかけ、結局、利家室の芳春院を江戸に人質にとることで前田家の動きを止める。直江山城守と三成に密約があった前提で小説にしており、家康は上杉家の上洛を求め、それを拒む上杉家が直江山城守の直江状を送り、上杉家討伐が始まる。
 改めて思うのは、司馬遼太郎は人間に対して好き嫌いがはっきりしていることである。藤堂高虎などは悪く書き、幕末物の小説の中でも伊勢藤堂藩は家祖高虎の性格が出して悪役的に書かれる。福島正則も好きでは無いようだ。小早川秀秋は軽蔑している。
 このように関ヶ原の戦いに関与する各大名の性格、この事態への対処の方法などのエピソードを一章ずつ書いていく。
 前田家以外の五大老の家では、宇喜多家の宇喜多騒動という重臣間の内紛に家康が関与して力を弱める。毛利家は形だけは西軍の総帥になるが、吉川広家と安国寺恵瓊との確執を描く。上杉家では、後に上杉家を裏切った藤田信吉に触れる。

 小大名のことも書く。近江の名門京極高次のこと、西軍に義を通した田丸直昌、桑名の水軍を管理し、中立を守った氏家行広(後に大坂の陣で大坂城に入る)、親子で分かれた水軍の九鬼家、大坂方についたが、途中で東軍になり、兵糧米を東軍に差し出した鍋島勝茂、直茂のことも記述される。
 大谷義継と三成の友情、五奉行の増田長盛、長束正家の性格と立場(彼等は家康討伐の命令書を出すが、その石田三成蜂起の情報を家康に知らせている)も興味深い。
 大坂に残っている大名から上杉討伐中の家康軍に参加している当主への密使が無事に使命を果たすか否かで、後の加増も決まる面もあり、山内家のエピソードなども興味深い。次は、大坂にいる各大名家の夫人が人質にならないようにする脱出劇のドラマがはじまる。加藤清正室の脱出、細川ガラシャの死のことなどである。
 結果として西軍になった島津家の経緯、小早川秀秋の性格に触れ、木下勝俊と藤原惺窩との出会いを書き、伏見城攻めとなる。
 黒田如水の九州での活躍に至る経緯、真田家が両軍に分かれた犬伏の別れのことなどが書かれる。なおこの小説の結末は黒田如水と尼になった初芽との出会いの話で終わる。
 小山会議での堀尾忠氏と山内一豊とのエピソード(若い忠氏が「城地を徳川殿に進上する」との発言案を一豊が奪って先に言い、それで土佐一国をもらったこと)や石田憎しだけの福島正則の煩悶や会議という場では誰も発言せずに、声の大きい者(福島正則)の言に大勢は流れることなどの人間の心理を書く。
 先発した東軍諸将の心の動きと家康の慎重な姿勢、実際に西軍と戦わせてからの家康の尾張・美濃への下向となる。岐阜城(織田家)の戦いと内応、中山道での真田軍と秀忠軍のことが書かれている。
 大垣城などでの石田三成と島津家との確執、家康が大垣を攻めずに大坂に向かうとの情報を流し、関ヶ原に野戦に追い込まれる動き。三成の焦りが描かれ、そこに小説らしく、三成の愛妾初芽が登場したりする。また参陣しても意味のない場所で待機する西軍大名(最期は寝返る)などの日和見の様子などが描かれる。
 そして関ヶ原の戦いだ。小早川秀秋が裏切るまでは西軍が優勢という感じの叙述である。大谷吉継の奮闘振り、その家来の湯浅五助の忠義と戦いが印象的である。島左近の奮戦と蒲生氏郷系の家臣の活躍、その長の蒲生郷舎(横山喜内)の壮絶な戦いを描く。戦いの最中に三成が腹痛に苦しみながら各陣地に督戦に回る様子なども描かれている。
 敗軍の将になっても死なずに逃げるのは、源頼朝の石橋山にならっての逃避になぞらえてのことと書く。三成は逃避行の中で、昔、面倒をみた村人たちの義の心を知る。豊臣恩顧の大名の義の無さと対比が皮肉である。
 捕らえられてからの各大名の接し方、それに対する三成の心境なども小説らしく書いている。ここでも小早川秀秋は惨めに書いている。

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