「北斎漫畫」永田生慈 監修・解説

葛飾北斎の「北斎漫画」の初編から十五編までを一冊にまとめ、解説を加えた分厚い本(959頁)である。金工村上如竹の馬の姿態が、ここに描かれているかと思い、全ページを概観した。
解説によると、早くから西洋の人に高い評価を受けていたのが、富嶽三十六景ではなく、この北斎漫画だったと言うことだ。
いずれも巧みなデッサンであり、動植物図譜であり、挿絵であり、風景のスケッチであるが、私は人物の動きのある様々な姿態を写し取った絵に感心する。初編、二編、三編によく観られる。四編には鳥の様々な飛翔の姿が素晴らしい。五編は物語の挿絵が多い。六編は武士が弓を引いたり、馬を乗りこなしたり、槍や棒を使っている図など武闘編である。七編は風景画、八編は様々であるが、人物の姿態や顔の様々が面白い。九編は物語絵が多い感じ、十編は市井の曲芸師や物売りに幽霊などである。十二編には精巧な絵や卑猥な絵もある。十三編から十五編は以上の色々なジャンルが交じっている。十四、十五編は北斎没後の編集の可能性もある。全編を通すと、彫りの出来にムラがあり、また計画的でもないと指摘されている。

北斎55歳時の文化11年(1814)に初編が上梓されている。北斎のデビューはこの25年前の安永8年(1779)に勝川春章としてだ。役者絵を中心に幅広い題材を絵として黄表紙や洒落本などの挿絵の分野でも活躍した。そして北斎は寛政6年(1794)に宗理と画名を変える。上方から伝えられた琳派の様式になり、俵屋という画派の頭領となる。流行した狂歌の狂歌摺物に作品が多く、叙情的な雰囲気を持つ。美人画の評価も高い。寛政10年(1798)に北斎になるが文化年代から勇壮な武人など漢画的になる。これは当時流行していた長編小説の読本挿絵として発展する。
この時代に数は少ないが美人画や東海道、あるいは洋画表現を用いた名所絵などもある。
50歳以降、作品は少なくなる。あの富嶽三十六景を上梓したのは天保2年(1831)からだ。
文化7年に絵手本の初作を出す。絵手本は中国からの画譜に影響されたと思われるが、京都では西川祐信、江戸では鍬形薫斎(北尾政美)に多い。
北斎は文化9年に大坂、大和吉野、紀州、伊勢に旅し、名古屋で滞在。この時に北斎漫画の初編の下絵が制作される。この年に江戸に戻るが、文化11年に名古屋の永楽屋から上梓される。二編から十編までは江戸の角丸屋から出版される。後に永楽屋が版本を買い取る。
角丸屋は北斎に読本挿絵を依頼していた版元である。5年で十編まで完結し、角丸屋は版木を文政五年頃までに永楽屋に売却する。
十一編から十五編だが、永楽屋が中心に角丸屋も入れて9の版元の名がある。すべての刊年は不明であるが文政六年から天保四年頃と想定される。

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