「戦国時代の流行歌」小野恭靖 著

戦国時代から安土桃山時代にかけて、高三隆達(たかさぶ りゅうたつ)という堺の人物が隆達節という歌を流行らせた。その歌を紹介し、それが後世の俳句や文学などへどのように影響を及ぼしているかを論じている。

隆達節は音曲であるから、本来は節廻しや音程を伴う。それを歌詞だけ紹介しているのであるから、何がいいのかが、よくわからないところもある。隆達は声も良く、歌も上手だったのだろうと想像するしかない。著者は大河ドラマの監修にも携わったことがあるとのことであり、実際の節廻しなどもわかっているのかもしれない。今度、そのようなものを聴きたいものである。

高三(たかさぶ)家は、大陸からの帰化人の劉氏が平安時代に渡来して博多に住す。中国で高三官(こうさんかん)という官を得ていたから高を名乗る。代々三郎兵衛を当主名にしていたので、高三を姓にし、南北朝時代に堺に移住し、漢方薬の薬種商を営む。
隆達は大永7年(1527)に生まれ、慶長16年(1611)に死去。85歳の生涯である。

隆達は堺町人の出だから、当然に堺の有力町衆とも昵懇の関係で、茶道にも嗜みがある。

歌の名手としては、三好長慶(連歌も得意)の配下に松山新介がおり、この者が歌舞音曲に秀でていた。隆達の先駆者である。他にも小笠原監物(隆達と何らかの交流があった武士。尾張国主の松平忠吉の寵臣だが、故あって去り、陸奥の松島に住む。しかし忠吉が死んだ後に殉死)などの関係する人物の逸話が紹介される。

隆達節として多くの歌が紹介されているが、ジャンル別には次の通りで、恋愛の歌が多い。
祝い歌
「君が代は千代に八千代にさざれ石の 巌をなりて苔のむすまで」という古今和歌集の歌)、
四季歌
「花が見たくば吉野へおりやれの 吉野の鼻は今が盛りぢや」
恋歌
「誰が作りし恋の路 いかなる人も踏み迷う」
「寝ても覚めても忘れぬ君を 焦がれ死なむは異なものぢや」
「あたたうき世にあればこそ 人に恨みも 人の恨みも」
無常歌
「うき世は夢よ 消えては要らぬ 解かいなう 解けて解かいの」
「ただ遊べ 帰らぬ道は誰も同じ、柳は緑 花は紅」
「世の中は霰よの 笹の葉の上のさらさらさっと降るよの」
「後生を願ひ、うき世も召され、朝顔の花の露より徒な身を」
「会者定離 誰も逃れぬ世の中の 定めないとは なう偽り」
人生観を示す歌
「梅は匂い、花は紅、柳は緑 人は心」
言葉遊び歌
「夏衣 我はひとえに思へども 人の心に裏やあるらん」

後の世に、隆達節の替え歌として、次のような教訓歌も現れる。
隆達節「面白の春雨、花の散らぬほどふし」(風情のある春雨、花が散らぬほどに降ってくれ)
教訓的な替え歌「面白の儒学や、武備の廃らぬほど嗜け」とか「面白の武道や 文事を忘れぬほど好け」

ちなみに織田信長で有名になった「人間五十年……」は幸若舞の「敦盛」の一節で、信長は他に「死のふは一定、しのび草には何をしよぞ…」がお気に入りで、これは小歌節という音曲である。

阿国歌舞伎にも取り入れられ、江戸時代の本から明治の文豪や昭和の歌人にも引用されているのを紹介している。

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