「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展」図録 

 新型コロナの関係で美術展が軒並み中止になり、伊藤も寂しいだろうとのことで、ご近所の絵画好きな方が持参してくれた図録である。
 この展覧会は1999年に東京都美術館で開催されたようで、この図録にはワシントン・ナショナル・ギャラリーが生まれた歴史と、印象派を中心として前後の時代に描かれた絵画(当時の展覧会出品作)に関する解説が図版とともに記されている。

 ワシントン・ナショナル・ギャラリーが誕生したのは、アメリカの大富豪のアンドリュー・メロンの寄贈と資金援助から生まれ、その後も息子のポール・メロンやクレス家、ワイドナー家や、ローゼンヴァルト、デールなどの援助で、今のような規模になったと書く。ここで面白いのはヨーロッパが王侯貴族が美術品収集の担い手だったのに対して、アメリカはビジネスで成功した大富豪が担い手だったということである。

 冒頭に島田紀夫(実践女子大教授)が「集中と拡散、そして/あるいは、近接と疎遠」と題して19世紀のフランス絵画を概括している。
 19世紀半ばまではフランスでは、絵画のジャンルは神話画(ギリシャ・ローマ神話に由来)、宗教画(キリスト教)等を含む歴史画(物語画)が最上位で、次ぎに人間を描いた肖像画、そして動物画と続き、日常生活に取材する風俗画や、身の回りにある事物を描く風景画や静物画は低い位置だった。
 フランス革命から庶民が登場する歴史になり、歴史画も広がる。それから風景画が増える。これは社会の上部構造の変化による。
 モネやピサロの風景画の前に、今は無名の風景画軍団とも言える画家がいた。コローは初期の写実的な風景画から、詩的な情緒に富む風景画になる。通俗画的な風景画も生まれる。画面に人物が描かれていないが、人間の存在がある風景画をクールベやブーダンが描く。戸外での写生もはじまり、モネなどの印象派の登場となる。海辺の光景を描いたブーダンの位置づけも詳しく書かれている。
 また当時の風俗の裏側として、洗濯女や踊り子が性の対象になっていたことなどを解説している。
 その後、印象を永続させるべく、セザンヌは画面構成に意を用い、造形的な探求を続ける。ゴッホは表現主義、ゴーガンは象徴主義の祖となる。印象派の色調分割の手法を科学的に追求がスーラの点描法である。
 次ぎにピカソとブラックはセザンヌの造形的探求からキュビズムに行く。
 空間的近接と心理的な疎遠という感情を共有するのが都市生活者で、それをモネは描くということが、この評論のテーマなのかもしれないが、難解である。

 次ぎに、この展覧会に出品されたフェルメールの「手紙を書く少女」について太田治子(作家)は記述している。モデルの少女はあどけない顔だからフェルメールの娘ではないかと推論する。この絵に対して、フェルメール「手紙を読む女」の女は風俗画の女性の顔で作り物的と論ずる。当時のオランダでは急速に通信網が発達して手紙は市民の間で流行となったことに触れる。作家らしい想像力を働かせて、この絵に思いを馳せている。

 以下、「印象派以前」「印象派」「後期印象派と新印象派」「オールド・マスターズという章立てで、出品作を解説している。
当時の社会の風潮も記されていて、西洋美術史の教科書として参考になる。

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