「武士の日本史」高橋昌明著

この本は、武士は東国ではなく、都で生まれたと最初に唱えた著者の本である。武士誕生の経緯を「1.武士とはなんだろうか」「2.中世の武士と近世の武士」で説き、「3.武器と戦闘」では実際の戦闘の様子を書いている。今のテレビドラマ的な立ち回りの否定である。
「4.「武士道」をめぐって」「5.近代日本に生まれた「武士」」では、今、我々がイメージしているような武士や武士道が誕生した経緯を説明している。江戸時代に惰弱に流れていた武士を質実剛健に戻す為に、昔の東国の農村で生活したような武士になれということで、武士の東国誕生説が刷り込まれた面も指摘している。
最期の「終章.日本は「武国」か」は、日本は古来からツワモノの国、勇敢な国民性があったなどの通説を打破して、再度、戦争などを起こさないようにとの著者の主張が強く出ている本である。

「1.武士とはなんだろうか」では武士は芸能人の一種として見なされ、侍は六位クラス(貴族は従五位下以上)、中央官庁の三等官クラスだったと論じる。そして武芸を家業とする特定の家柄の出身者で、具体的には弓箭の道。弓馬の扱いに優れた者である。乗馬は貴族など許された者が出来、馬の口取りなどの郎党を必要し、飼育に金もかかることを記する。
奈良時代、あるいは平安前期から武士は存在し、武士の家とは坂上田村麻呂、紀田上、大野真雄・真鷹、小野春風。紀最弟、文室綿麻呂、坂上苅田麻呂、藤原利仁の流れである。
東北と九州の脅威に備える場所や、都が武士が配置される場所である。桓武治世以降に賜姓皇族や藤原秀郷流が軍事貴族となる。11世紀以降は大手を振って登場し、鎧などの武具は貴族社会で生まれる。また平氏が関東に土着し、武士の暴力団的性格も出る。

「2.中世の武士と近世の武士」では院政時に院の武士として存在感。王家内部の対立、権門寺院との関係、荘園の激増による寺社勢力と国衙の争いなどに活躍する。
そして源平のツワモノの家から2次的な武士のイエが誕生。独自に武装集団。武に堪能な在地領主の一部が武士身分になる。
鎌倉の御家人は頼朝に従うもので、京都大番役も御家人の役割。征夷大将軍は頼朝が前将軍という称号をやめ、新たに大将軍を拝命したいと申し出て、王朝側が選ぶ。平家物語が平家の軟弱さを広める。江戸幕府が頼朝に私淑だから、ますます平家の貴族化がいわれる。南北朝の内乱は尊氏と直義の争いに、破れた直義側の残党が南朝が乗ったために長引く。
義満没後は守護の力が強くなる。世襲して守護大名となる。
太閤検地で中央側が検地(それまでは申告させていた)するようになり、江戸時代は石高制となる。秀吉時代の兵農分離(刀狩り)と喧嘩停止令は受け継がれる。江戸時代、大名は幕府の意向を忖度して寄り添った政策で領内の統治を行う。
地方知行と蔵米知行に分かれるが、だんだん蔵米知行(サラリーマン的)になる。

「3.武器と戦闘」では当初は弓馬による「楯突くいくさ」。双方の距離が1町(109㍍)あたりから楯を並べ、5~6段(55~65㍍)程度まで楯を並べ、鬨の声をあげて矢戦。
「馳組むいくさ」は、互いに馬を馳せての弓矢の戦い。敵に動揺があれば楯の間から騎馬武者が押し出す。おのおの徒歩の集団を連れて行く。
こうなると馬を狙うようになる。馬の太腹を射て、主を跳ね落とさせて、起ち上がろうとするところを追物射にする。
源平内乱期は鎧の防御力の向上がめざましい。馬は平均129。5㎝。(今は158㎝のサラブレッド)馬がのせられる重量は自重の3分の一。これを越えると、走行力は3割減ずる。日本の馬は去勢していないから暴れ馬。発情期は大変。馬には口取りがいる。疾走は前提としていない。ヨーロッパの中世の騎兵も白兵の突進はなかった。白兵の突進をやったのは18世紀以降。馬は食べさせる必要があり大変。
馬上の太刀打ちは右手の片手切り。身体を右方に沈めて抜かないと馬の首を切りつけてします。手綱も切る。ともかく刀は弓にかなわない。接近戦だけ。
馬上の弓が馬上の太刀になるのは14世紀。敵に届くように長大な刀となる。しかし攻撃する方も怖い。やがて下馬しての斬り合いになる。イエズス会士は我々は馬で戦うが日本人は戦う時は馬から下りると報告書を出す。そして鉄砲が登場する。
戦国大名の軍役は戦闘員の人数と携行する武器の種類と数量だけだが、近世の軍役では出陣を華やかにする道具類運搬や兵糧搬送を含めた総数である。
竹刀剣術はスポーツに過ぎない。

「4.「武士道」をめぐって」は武士道の誕生の経緯を書く。戦国期まではツワモノの道とは違う。鎌倉期は謀反は武士の名誉とまで言った。自尊心が強い。江戸時代は儒教と結びついて治者としての倫理学になる。

「5.近代日本に生まれた「武士」」では黒船が来て従来の武士身分が弊害となって安政の軍事改革(老中阿部が海防強化の海軍伝習所と講武所)、文久の軍事改革(慶喜が洋式軍隊を目指す)が不徹底で、長州の奇兵隊に負ける。
明治維新は士族の特権を奪ったが、官吏の出身は士族が圧倒的に多く、士族の政権である。明治政府は富国強兵をとなえ、参謀本部が『日本合戦史』全13巻を明治22年~大正13年に発行するが、史料が無く、文学的虚構もあって戦史が戦争を誤らせる面もあった。(奇襲重視)
新渡戸稲造『武士道』はキリスト教の皮をかぶっている本で、もう一つは忠君愛国からの武士道となる。軍人勅諭などで戦死の美化。精神主義が強調される。生きて虜囚の辱めを受けずとか大和魂が重視

「終章.日本は「武国」か」では秀吉が朝鮮出兵した時に明国を長袖国とし、日本を弓箭きびしき国としたことがあるが、これは思い込みで、中国、朝鮮の弓に比較して日本の弓が大きいことや、島国で他からの攻撃がほとんど無かったことも一因ではないか。滝口の武士の役割の一つは「鳴弦」で邪気・魔除けをすることであった。
日本人が元々勇敢というのも太平洋戦争の人的資源の蕩尽のスローガンにされただけであった。

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