「刀剣と格付け」深井雅海 著

副題が「徳川将軍家と名工たち」であり、江戸幕府の将軍を中心に刀剣がどのように贈答(献上、下賜)されてきたかを書いている。
著者は江戸時代を研究対象とする歴史学者であるが、刀剣には詳しくはない。ゼミの学生が江戸時代の刀剣贈答に関する論文を書き、それを生かすような意味で取りまとめた書物である。
著者は江戸城の内部の部屋のことなどに詳しいので、江戸城内での刀剣保管場所や献上、下賜するときの将軍、大名の配置などは具体的である。
贈答には当然に古刀の名刀が使われるが、8代将軍吉宗が新刀を奨励し、贈答にも新刀を用いることもはじめる。
吉宗は新刀鍛冶のコンクールのようなことも行い、また享保名物帳として今に残る名刀の履歴などを本阿弥にまとめさせるが、これらのことを既刊の資料から第Ⅰ章でまとめている。今に伝わる名刀がオーソライズされたわけである。
歴代将軍では二代秀忠が毎月17日(家康の命日)に刀剣の勉強、鑑賞を本阿弥光室(十代)を招いて行っていたことが記されている。あとは吉宗が大いに関心を寄せている。

第Ⅱ章は家康から七代家継までの刀剣の下賜、献上の実態を明らかにしている。献上の目的は家督相続御礼、次が隠居(致仕)御礼で全体の75%である。
下賜の理由は大名の国元への暇乞いへの餞別、褒美・大名邸へのお成り、将軍御前での元服祝いである。特に大名邸へのお成りは綱吉の時代に多い。綱吉は柳沢吉保家に58回、牧野成貞家に29回。松平輝貞家に25回と全体の76.7%が側近の屋敷へのお成りである。
刀剣の管理は腰物方が担当し、頭は腰物奉行(当初は腰物頭)で役高七〇〇石。人員は二人。配下に腰物方(役高二〇〇俵、15~16人の旗本、内3~4人は御差方として将軍の佩刀を取り扱う)と同心(一〇人で御家人)がいる。ここに各種の刀剣に関わる職人が配属されているわけである。
第Ⅲ章が吉宗の刀剣改革として、新刀鍛冶改のことを主として佐藤幸彦氏の調査結果を引用してまとめている。そして吉宗は享保7年にこれまでのような大名との儀礼を簡素化し、隠居・遺物献上が廃止され、家督御礼もとりたてておこなわれなくなり、贈答に用いる刀剣も代金20枚までに限るの法令を出す。この結果、高額な刀剣の贈答が減り、献上件数も減少している。
また将軍の佩刀が初代家康から各代に至るまで記されている。新刀を佩刀にしたのは吉宗が最初で、あとは九代将軍とか少ない。
新刀に注目した吉宗にちなんで、ここに新刀番付の一つが紹介されている。

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